東総遊歴と幽界研究とは? わかりやすく解説

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東総遊歴と幽界研究

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/17 01:11 UTC 版)

平田篤胤」の記事における「東総遊歴と幽界研究」の解説

篤胤は、私塾書斎である「真菅乃屋」から自己の著作刊行しようと努めてきたが、その著述活動支えるような有力な領主庇護はなく、必ずしも裕福な門弟恵まれていたわけではなかった。当初江戸在住武士町人門人支持者となって後援したのにとどまっていた。この「真菅乃屋」のサークル江戸以外の地に拡大しなければ自分学問はひろまらない、このように考えた篤胤が巡遊先として最初に選んだのは、下総上総の地だった。文化13年1816年)に篤胤は初めてこの地域まわった。 篤胤は文化13年4月江戸出て船橋神崎香取鹿島銚子飯岡利根川下流地域をめぐり、途中鹿島神宮香取神宮及び息栖神社詣でている。この旅で「天之石笛」という霊石得たことにちなみ、篤胤は家号を「伊吹乃屋(気吹舎)」と改め、「大角」とも名乗るようになった。翌文化14年1817年)には、この旅の顛末しるした『天石笛之記』が書かれている文政元年1818年11月18日43となった篤胤は、武蔵国越谷在住門人山崎篤利の養女再婚した新しい妻も先妻の名「織瀬」を名乗った山崎篤利は、越谷油商人で篤胤の出版事業経済的に援助した人物である。この頃、篤胤は越谷久伊豆神社境内草庵声庵」をむすんでいるが、これは篤利たち越谷門人たちの援助よるものであったこの年、『古史成文』を刊行、篤胤のライフワークとなる『古史伝』の著述とりかかった文政2年1819年)、2度目東総遊歴おこなった最初訪問地以外にも八日市場富田・東金・本納・一の宮などを巡り、篤胤はこの遊歴の中で、のちに著作としてまとめられることとなる『玉襷たまだすき)』や『古道大意』を講釈し、門人獲得精力的におこなった農政家・国学者として知られる宮負定雄の父定賢はじめ多く豪農神職がこのとき入門している(定雄自身文政9年入門)。 この時期の篤胤は、平田学の核心となる諸書著述刊行進めると同時に幽界研究大きな関心払った幽界往来した称する少年別人生まれ変わったという者の言葉信じ、そこから直接幽界事情著述している。 文政3年1820年)秋、江戸で天狗小僧寅吉出現話題となった発端江戸豪商随筆家でもある山崎美成のもとに寅吉寄食したことにある。寅吉によれば、彼は神仙界を訪れ、そこの住人たちから呪術修行受けて帰ってきたという。篤胤はかねてから幽冥界強い関心いだいていたため、山崎の家を訪問し、この天狗少年養子として迎え入れた。篤胤は、寅吉から聞き出した幽冥界のようすを、文政5年1822年)、『仙境異聞』として出版している。これにつづく『勝五郎再生記聞』(文政6年刊行)は、死んで生まれ変わったという武蔵国多摩郡農民小谷田勝五郎からの聞き書きである。幽なる世界について考究には、他に、『幽郷眞語』『古今妖魅考』『稲生物怪録』などがあり、妖怪俗談集めた『新鬼人論』(文政3年成立)では民俗学方向示し、のちに柳田國男折口信夫らの継承するところとなった文政5年1822年)、『ひとりごと』を著して全国神官支配的な影響力をもつ吉田家接近するため、かつて『俗神道大意』で痛罵した吉田家弁護した吉田家敵対関係にある神祇伯白川家白川伯王家)に接近したこともある。 文政6年1823年)、かねてより学問専心したいとして備中松山藩板倉氏対し永の暇を求めていたが、それが聞き入れられ松山藩辞している。こののち、篤胤は尾張藩接近し一時わずかな扶持あたえられたこともあったが、晩年にはそれを召し上げられている。

※この「東総遊歴と幽界研究」の解説は、「平田篤胤」の解説の一部です。
「東総遊歴と幽界研究」を含む「平田篤胤」の記事については、「平田篤胤」の概要を参照ください。

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