日記の真贋に関する論争の歴史
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/18 04:37 UTC 版)
「アンネの日記」の記事における「日記の真贋に関する論争の歴史」の解説
第二次世界大戦後10年の間にアンネ・フランクの名が広く知れ渡り、ドイツの残虐行為が明らかになるにつれ、まずホロコースト否認論者により、アンネへの中傷や、アンネの存在自体への懐疑、日記の信憑性に対する疑問が呈された。 1958年、「アンネが実在したというならば、アンネを捕まえた人間を見つけ出してみせろ」というホロコースト否認論者からの主張を受けて、海外へ逃亡した元ナチス党員やドイツ軍人の戦犯容疑者を捕らえる「ナチ・ハンター」として著名なサイモン・ヴィーゼンタールは、アンネらを逮捕した人物の調査を開始した。ヴィーゼンタールはその人物、元ゲシュタポで、オランダではナチス親衛隊保安部(SD)曹長をしていたカール・ヨーゼフ・ジルバーバウアーを1963年に探し出し、アンネが実在したことを証明した。インタビューによって、ジルバーバウアーは戦時中の行為をすぐさま認め、アンネ・フランクの写真を見て、彼が逮捕した人々の一人であると確認した。彼の供述はオットー・フランクらの供述と合致した。 1959年、アンネの日記は捏造であると勤務先の学校内文書に書いた元ヒトラーユーゲントで、当時は教師をしていたローサー・シュティーラウに対して、オットー・フランクはリューベックで訴訟を起こした。1960年、裁判の結果、法廷は日記が本物であるとの裁定を下した。シュティーラウは主張を撤回し、オットー・フランクはその件についてそれ以上の追及をしなかった。 1970年代中頃、イギリスのホロコースト否認論者デイヴィッド・アーヴィングは、日記は偽物であると表明した。 1976年、日記が偽物であるというパンフレットをフランクフルトで配布したハインツ・ロースに対して、オットー・フランクは訴訟を起こした。裁判所は、ロースがこれ以上そのような声明を出版した場合、50万ドイツマルクの罰金と6か月の懲役を科すとの裁決を下した。1978年と1979年の同様な2つの訴訟については、オットー・フランクのような被害者自身による告訴ではなかったため、言論の自由の見地から裁判所はその訴えを棄却した。 アンネの日記は捏造であると糾弾した2人のネオナチ、エルンスト・レーマーとエドガー・ガイスが逮捕された時、日記の真贋に関する議論は最も白熱した。彼らが上訴している間、歴史家チームがオットー・フランクと協議して原本の調査を行い、日記は本物であると結論したが、1978年にレーマーとガイスの上訴に関して、ドイツの内務省に属する犯罪調査局(Bundeskriminalamt:BKA)は、原本の紙とインクの種類の科学調査を依頼され、「日記をルーズリーフに書く際に使用されたインクは戦時中のものであるが、ルーズリーフに後からなされた訂正は黒、緑、青のボールペンによって書かれている」との報告を裁判所に提出した。BKAはボールペンでの訂正について詳細な証拠を外部に示さなかったが、日記の正当性を疑う人々はこの点に注目した。ボールペンは第二次世界大戦の終戦以前は一般的ではなかったためである(イギリス空軍は大戦中すでに採用していたが、ボールペンがアメリカを中心に大量生産されて普及したのは1945年以後である)。 1986年、原本を保管するオランダ戦時資料研究所は、さらに詳細な科学的調査の結果を報告した。その際、どの部分がボールペンでの訂正部分なのか指摘するように求められたBKAは、その部分を指摘する事が出来なかった。オランダ戦時資料研究所自体は、アンネ・フランクのルーズリーフに挿入されたボールペンによって書かれた2枚の紙を確認していたが、翌1987年、裁判所から筆跡鑑定を依頼されたハンス・オクルマンは、その2枚の紙は彼の母ドロシー・オクルマンがミナ・ベッカーと共同して日記の調査を行ったときにドロシーが書いたものであることを明らかにし、ボールペン問題には決着がついた。2003年に出版された改定批判校訂版には以下のように記されている。「ボールペンで書かれた痕跡があるのはルーズリーフ帳に挟まれていた僅か2枚の紙である。図 VI-I-I と 3 に示されているように、これらの紙はプラスチックのカバーに対応する場所に置かれている。実際の日記においてこの事は何ら意味を持たない。2枚の用紙に書かれた筆跡は他の日記の部分の筆跡とは大きく異なっている」。 2009年7月30日、国際連合教育科学文化機関は「ユネスコ記憶遺産」に『アンネの日記』などを登録すると発表した。
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