日記を世界に伝える
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/10 06:35 UTC 版)
「オットー・フランク」の記事における「日記を世界に伝える」の解説
1947年6月25日、オランダ語による初版がHet Achterhuis(後ろの家)というタイトルで出版された。この成功を受けて、1950年にはドイツ語版Tagebuch der Anne Frank(アンネ・フランクの日記)とフランス語版Le Journal d'Anne Frank(アンネ・フランクの日記)が出版された。ついで1952年には英語版The Diary of a Young Girl(少女の日記)と日本語版『光ほのかに アンネの日記』が出版された。イギリスでは初めあまり売れなかったが(イギリスでは1954年にペーパーバック版になった後に売れるようになった)、西ドイツ、フランス、アメリカ、日本では発売とともに好調な売れ行きを示した。それにつづいてイタリア、スイス、北欧諸国、スペイン、ソ連、東ドイツ、南米諸国、インド、韓国、台湾、タイ、インドネシアなどでも翻訳版が出版された。 1955年には『アンネの日記』がニューヨークで舞台化された。さらに1957年には20世紀FOXによって映画化されている(『アンネの日記』)。 1957年に隠れ家のある建物が取り壊されそうになった際に建物の保存のために「アンネ・フランク財団」(在アムステルダム)が設立された。財団は一般からの寄付に支えられて、この建物とその周辺を買収し、1960年5月3日に博物館「アンネ・フランクの家」として公開した。オットーは様々な民族や宗教の若者の交流を促進して不寛容や差別が防止されることを期待してアンネ・フランク教育センターの設立を支援し、1964年までその初代会長を務めた。 オットーはアンネの日記について「これは戦争文学ではありません。戦争はこの本の背景でしかないのです。同様にこれはユダヤ人の本でもありません。ユダヤ的世界やユダヤ人の心情・境遇が背景にはなっていますが。」と述べ、時代や人種を問わない普遍的なものであることを語っている。オットーは死ぬまで、アンネの残した寛容と思いやりのメッセージを世界中に広め続けた。
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