日記の発見
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/08 03:19 UTC 版)
日記の日付は、川端康成が中学3年生当時(数え年で16歳)の1914年(大正3年)5月4日から5月16日までとなっており、川端の祖父が死んだ5月24日(正確には25日の未明2時ごろ)の8日前で日記は止まっている。 日記が書かれた10年後、川端は伯父の倉の一隅にあった革のカバンの中から、この日記を見つけた。川端の伯父は相場の失敗から破産し、家屋敷が人手に渡ることになったため(実際には伯父・黒田秀太郎の死後のことで、従兄・秀孝の破産で家屋敷を売るはめになったためと、50歳の時点で記憶違いを訂正している)、その前に何か自分の物がないか倉を捜してみたところ、医者であった父親が往診の時に持ち歩いていた革のカバンを見つけた(鍵がかかっていた)。 そばにあつた古刀で革を破ると、中は私の少年時代の日記で一ぱいだつた。そのなかに、この日記が混つてゐた。私は忘れられた過去の誠実な気持に対面した。しかし、この祖父の姿は私の記憶の中の祖父の姿より醜くかつた。私の記憶は十年間祖父の姿を清らかに洗い続けてゐたのだつた。 — 川端康成「あとがき――十六歳の日記」 また、川端は日記に書かれた内容の詳細なことを覚えていなかったとして、次のように語っている。 ところが私がこの日記を発見した時に、最も不思議に感じたのは、ここに書かれた日々のやうな生活を、私が微塵も記憶してゐないといふことだつた。私が記憶してゐないとすると、これらの日々は何処へ行つたのだ。どこへ消えたのだ。私は人間が過去の中へ失って行くものについて考へた。 — 川端康成「あとがき――十六歳の日記」 その後1948年(昭和23年)に全集を編集する際、古い日記帳を捜していた時に、この日記の続きの断片も発見された。そこには日付はなかったが、発表された5月16日まで以降の日の記述らしく、さらに死に近づいた日のものである。 川端は『十六歳の日記』について、〈字句の誤りを正したほかは、十六歳の時の原文そのままである。後年書き直さうにも、書き直しようがないからである〉と語っている。 私の唯一の真摯な自伝であり、私には尊い記録である。そしてまた、私の作中では傑れたものである。私の文才は決して早熟ではなかつた。ただ身辺の素直な写生が、動かし難い作品を残したのである。 — 川端康成「第六巻あとがき」(『川端康成選集第6巻 父母への手紙』)
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