日記の成立
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/18 04:37 UTC 版)
1944年8月4日の午前10時から10時半頃、隠れ家に潜んでいた8人のユダヤ人は、何者かからの密告を受けて出動したアムステルダム駐留の保安警察(SD)の職員たち(カール・ヨーゼフ・ジルバーバウアー親衛隊曹長と数名のオランダ人ナチ党員)によって逮捕された。彼らを匿っていたヴィクトール・クーフレルとヨハンネス・クレイマンの2人も連行された。しかし女性だったミープ・ヒースとベップ・フォスキュイルは逮捕を免れた。 逮捕されたユダヤ人8人の中で戦後を迎えることができたのは、オットー・フランクのみである。アンネを始めとした他のユダヤ人7名はそれぞれの移送先の強制収容所で死亡する。 保安警察が去ると、ミープ・ヒースとベップ・フォスキュイルは床の上に散乱した文書をすぐに回収した。それらのテキストは、戦後アムステルダムに戻ったオットーに渡された。彼はこの文書を編集してまとめ、アンネやフランク一家をよく知る人のために私家版として配った。やがてこの文書の存在は広く社会に知られるようになり、周囲の声に推され、本格的な出版に踏み切ることになる。初版は1947年にオランダのコンタクト社から発売された。 アンネは隠れ家のことを、その形から『ヘット・アハターハウス(オランダ語: Het Achterhuis=直訳すると「後ろの家」)』と名づけていたが、これはオランダ語版の『日記』のタイトルとなった。
※この「日記の成立」の解説は、「アンネの日記」の解説の一部です。
「日記の成立」を含む「アンネの日記」の記事については、「アンネの日記」の概要を参照ください。
- 日記の成立のページへのリンク