移送先
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/05 20:05 UTC 版)
コムソモリスク・ナ・アムーレ ハバロフスク シベリア ブラーツクダム ナヴォイ劇場 タシケント ナホトカ エラブガ シベリア以外にも、モンゴルや中央アジア、北朝鮮、カフカス地方、バルト三国、ヨーロッパロシア、ウクライナ、ベラルーシなどソ連の勢力圏全域や中華人民共和国にも送り込まれたという証言もあるが、詳細は不明な部分もある。 ソ連側の史料が全面提供されない中、厚生省援護局(現厚生労働省)によってまとめられた地図によれば、ソ連国内70か所超の収容所において抑留日本兵が強制労働に従事させられた。地図類をまとめる。日本政府による遺骨収集がソ連国内数か所において許可されており[いつ?]、その進展によってより正確な収容所の位置、抑留者数、死亡者数が解明されることと期待される。 宮脇淳子は「シベリア抑留」という言葉について、実際にはシベリア以外にも抑留されていたことから、正確には「ソ連抑留」あるいは「共産圏抑留」と言うべきとしている。 ファイル:1946年頃以降のソ連・モンゴル(外蒙古)内日本人収容所分布および各地点死亡者発生状況概見図.pdf 厚生省作成地図には各地点の抑留日本兵の動員数、死亡者数が含まれる。カタカナのみで記してあった地名は、アメリカやイギリスならびにソビエト発行のソビエト連邦地図を参照して特定した。
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