日記・和歌など
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利益は文化的素養の高さをうかがわせるさまざまな詩文を残している。以下、その主なものを挙げる。 前田慶次道中日記 米沢市指定文化財、市立米沢図書館所蔵。 慶長6年(1601年)10月15日に京都を発ってから同年11月19日に米沢へ着くまでを記した道中日記で、文中には本人が詠んだ俳句・和歌なども挿入しつつ、道中の風俗を詳しく書き残している。本文中に成立年や著者を裏付ける記載はないものの、筐書により本人の真筆とされている。また来歴について中村忠雄は「前田慶次道中日記」(『置賜文化』第32号)で「本書は、昭和の初めに骨董商永森氏らの手を経、当時東大文学部古文書課勤務、米沢出身の志賀慎太郎氏の手に入り、昭和九年(一九三四)に米沢郷土館の所蔵となった」としている。 この日記は当時の風俗をうかがう史料として、また利益の文化的素養の高さを示す史料として評価されており、米沢図書館より関連資料・活字を併録した影印本が出版されている。なお三一書房版『日本庶民生活史料集成』第8巻にも翻刻文が収載されている。 和歌 亀岡文殊奉納歌百首の内の五首 樵路躑躅山紫に岩根のつつじかりこめて花をきこりの負い帰る道夏月夏の夜の明やすき月は明のこり巻をままなるこまの戸の内閨上霰ねやの戸はあとも枕も風ふれてあられよこぎり夜や更ぬらん暮鷹狩山陰のくるる片野の鷹人はかへさもさらに袖のしら雪船過山吹く風に入江の小舟漕きえてかねの音のみ夕波の上 その他 越前細路木にて野伏する鎧の袖も楯の端も皆白妙の今朝の初霜越中の陣、魚津の城にて、初雁を聞きて武士(もののふ)の鎧の袖を片敷きて枕にちかき初雁の聲 これ以外にも安田能元と詠んだ長連歌が残されているし、『前田慶次道中日記』にも多くの俳句・和歌が挿入されている。なお、「亀岡文殊奉納歌百首」は慶長7年(1602年)2月27日、直江兼続の主催で同好の士27名が松高山大聖寺(通称「亀岡文殊」)で詠んだ和歌。他にも漢詩33編が奉納されている。 無苦庵頌 一般に「無苦庵記」と呼ばれているもので、堂森隠棲中に自らが描いた画に付した賛(いわゆる「自画賛」)とされる。『米沢古誌類纂』では「無苦庵頌」として紹介されている。 抑も此無苦庵は孝を勤むへき親も無れは憐むへき子もなし心は墨に染ねとも髪結ふか六かしさに頭を削り手の小遣不奉公もせす足の駕籠舁き小揚者雇はす七年の病なけれは三年の蓬も用ゐす雲無心にして岫を出つるも亦笑し詩歌に心無れは月花も苦にならす寝たき時は昼もいね起たき時は夜も起る九品蓮臺に至らんと思ふ欲心無けれは八万地獄に落へき罪もなし生るまて生きたならは死するても有ふかと思ふ
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