日曜18時台時代 - 放送時間再短縮とは? わかりやすく解説

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日曜18時台時代 - 放送時間再短縮

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/06 19:59 UTC 版)

TWWAプロレス中継」の記事における「日曜18時台時代 - 放送時間再短縮」の解説

1972年4月2日からは日曜夕方移動し日曜18:00 - 18:551時間での放送復活した1時間復活初回3月27日行われた札幌大会録画中継の2週目)。同時に放送開始以来続いていたスポンサー付き横幕なくなった他、放映権料30%カットされた。また、遅れネット変更したり、ネット打ち切る系列局が相次ぎ視聴率10%割り込む週が目立ち始める。同年5月15日には、日本テレビが『日本プロレス中継』の打ち切りを正式発表したため、プロレス中継における日本テレビTBSの2局対立時代終焉迎える。実況生中継同年6月25日足立区体育館行われた「'72ビッグ・サマー・シリーズ」開幕戦草津VSバロン・シクルナ放送)が最後となり、同年7月2日放送茨城県立スポーツセンター体育館大会録画中継6月27日開催以降は完全に録画中継のみとなった1972年入ってからは金網デスマッチが行われる会場札止め会場もあったことから、「'72ビッグ・サマー・シリーズ」以降国際プロレス番組収録が行われる会場でも金網デスマッチ頻繁にむようになったため、金網デスマッチが行われた大会における録画中継は、珍などの中堅選手登場するようになった。これを境に番組自体は、会場人気とは裏腹に猪木日本プロレス除名ジャイアント馬場日本プロレス退団視聴率低迷していた『NETワールドプロレスリング』→『NET日本プロレス中継同様に番組衰退傾向が進むことになる。 国際プロレス同年9月木村海外遠征出発したものの、日本陣営小林草津同年10月凱旋帰国した井上支え招聘外国人選手も、「'72ダイナマイト・シリーズ」と「'72ビッグ・ウインター・シリーズ」ではロビンソンやかつて日本プロレス参戦していたバディ・オースチンビル・ドロモブルーザー&クラッシャー招聘し、金網デスマッチ人気相まって、すでに弱体化していた日本プロレス尻目に興行面日本プロレスに勝るようになっていく。 同年10月1日8日放送の「'72ダイナマイト・シリーズ」小倉大会録画中継9月28日開催10月1日小林VSロビンソンIWA世界ヘビー級選手権放送)から再度日曜18:25 - 18:5530分に短縮され、この時期から1試合しか放送されなくなり、2週に分けた分割放送恒常化していく。さらに、10月8日放送小倉大会録画中継の2週目から、11月5日放送の「'72ビッグ・ウインター・シリーズ」群馬県高崎市体育館大会10月30日開催)の録画中継までの6週にわたり、番組収録が行われた会場メインイベントセミファイナルにて金網デスマッチ行なったため、メインイベント未放送となる事態となった。 「'72ビッグ・ウインター・シリーズ」では、同年11月27日愛知県体育館行われた初の金網タッグ・デスマッチであるブルーザー&クラッシャーVS小林&草津暴動騒ぎ発生したが、当日井上VSホセ・アローヨと、珍VSダイドーネ・ムッソリーニの2試合のみ収録行っている(井上VSアローヨは12月3日に、珍VSムッソリーニ12月10日それぞれ録画中継)。この名古屋大会における暴動騒ぎは、中継協力局だった中部日本放送(現・CBCテレビ)の系列新聞である中日新聞社会面大きく取り上げられたほか、全ての在京スポーツ紙でも大きく報道された。このシリーズでは全日本プロレス旗揚げした馬場が特別出場したが、日本テレビとの契約の関係上、馬場試合未放送となった馬場出場した2大会における番組収録は、同年11月29日東京体育館大会ブルーザー&クラッシャーVS小林&井上を、翌11月30日茨城県立スポーツセンター体育館大会ブルーザー&クラッシャーVS小林&草津のみそれぞれ収録された(東京体育館大会12月17日に、水戸大会12月24日録画中継)。この時期になると、金網デスマッチが行われた場合行われなかった場合とでは観客動員数差違見られるうになる1972年水戸大会を例にすると、木村VSシクルナの金網デスマッチ行った「'72ビッグ・サマー・シリーズ」では超満員札止めだったが、馬場ブルーザー&クラッシャーが特別参戦したものの金網デスマッチ未開催だった「'72ビッグ・ウインター・シリーズ」では当日券残っていた)。 1973年に入ると、国際プロレス金網デスマッチへの依存度を増していった。全14戦で開催された「'73チャレンジ・シリーズ」では、8戦において金網デスマッチ開催され中でも番組収録が行われた会場では、開幕戦大田区体育館大会2月24日開催、翌25日3月4日録画中継以外の全会場で開催された(「'73チャレンジ・シリーズ」で開催され金網デスマッチの内、8戦中4戦においてマッドドッグ・バション登場している)。同年4月1日放送の「'73チャレンジ・シリーズ」三重県四日市市体育館大会録画中継の2週目(3月7日開催小林VSホフマンIWA世界ヘビー級選手権)から日曜18:00 - 18:30放送時間25繰り上がった同年3月30日にはNETが『NET日本プロレス中継』を打ち切った上で翌週4月6日から新日本プロレス中継変更してワールドプロレスリング』へ再改題され、同年4月18日開幕した「'73ダイナマイト・シリーズ」中の同年4月20日には日本プロレス崩壊し日本プロレス崩壊当日国際は、青森県八戸市体育館テレビ未収録〉で興行行っていた)、国際プロレスVS日本プロレス長年ライバル関係終焉迎える。 しかし放送時間短縮後は、番組取り巻く環境がますます悪化。「'73ダイナマイト・シリーズ」では常連外国人のバションの他にも、エドワード・カーペンティアイワン・コロフターザン・タイラー、「'73ビッグ・サマー・シリーズ」ではテキサス・アウトローズローデス&ディック・マードック)、「第5回IWAワールド・シリーズ」ではブラックジャック・マリガンラーズ・アンダーソンムース・ショーラック、特別参加のガニア、「'73ビッグ・ウインター・シリーズ」ではワフー・マクダニエルミネソタ・レッキング・クルージン・アンダーソン&オレイ・アンダーソン)などをそれぞれ招聘したが、同年4月 - 9月平均視聴率は5%台に低下した。 さらに、日曜18時台移動後は、収録を行う地域縮小進み甲信越1972年6月11日放送の「第4回IWAワールド・シリーズ新潟市体育館大会5月4日開催、「第4回IWAワールド・シリーズ」のジョナサンVSラシクの3位決定戦杉山&木村VSロシモフ&イワン・バイテンのIWA世界タッグ選手権をもって北海道1973年5月6日放送の「'73ダイナマイト・シリーズ」札幌大会4月25日開催をもって大阪府立体育館同年7月15日8月12日放送の「'73ビッグ・サマー・シリーズ」(7月9日開催小林VS木村IWA世界ヘビー級選手権7月15日放送をもってそれぞれ収録打ち切られた。 1973年9月23日30日放送の「第5回IWAワールド・シリーズ栃木県体育館大会9月10日開催をもって日曜18時台における放送終了した

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