日暮里駅構内追突事故
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/31 23:16 UTC 版)
「日本の鉄道事故 (1950年から1999年)」の記事における「日暮里駅構内追突事故」の解説
1972年(昭和47年)6月23日13時59分ごろ 京浜東北線北行第1332C電車(桜木町発大宮行き:103系10両編成)が日暮里駅で客扱いを終了し、2分遅れで発車したところ運転台の戸閉表示灯が消灯したためブレーキを掛け、約90 m進んだ所で停止した。一方で、後続の山手線内回り第1370電車(103系10両編成)の運転士は(当時は線路保守のため、データイムは田端 - 田町間で山手線と京浜東北線が同じ線路を走行していた。この運転方式は現在でもリフレッシュ工事と称される工事が行われる際に見られる)、一つ手前の鶯谷駅を1分遅れで発車し日暮里駅に進入しようとする際、先行列車がホーム中央部分に停車しているのに気付き、非常ブレーキを掛けたが間に合わずに追突した。 負傷者は158人(うち重傷者は6人)。追突した電車の運転士は動労組合員であり、追突された電車の車掌は動労とは犬猿の仲である国労の組合員であったことから、事故直後に被害者の救助そっちのけで口論が始まり乗客から非難を浴びた。 原因は山手線の運転士が場内信号機の制限速度を超過して運転したためで、この事故をきっかけに信号保安機器の検討がなされ、京浜東北線・山手線のATC化が決定されることになった。しかし車両面での準備が遅れたため、実施は1981年12月6日まで待たねばならなかった。 追突されたクハ103-544、追突したクハ103-111は数年後復帰したが、ATC化のために転出し、大阪環状線で長らく顔を合わせることになる。
※この「日暮里駅構内追突事故」の解説は、「日本の鉄道事故 (1950年から1999年)」の解説の一部です。
「日暮里駅構内追突事故」を含む「日本の鉄道事故 (1950年から1999年)」の記事については、「日本の鉄道事故 (1950年から1999年)」の概要を参照ください。
- 日暮里駅構内追突事故のページへのリンク