打ち上げと運用
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/08/30 00:35 UTC 版)
金星探査機「あかつき」の相乗り衛星としてNegai☆″を載せたH-IIAロケット17号機は当初、2010年5月18日6時44分14秒(JST)に打ち上げを予定していたが、天候不順のため延期され、3日後の21日6時58分22秒(JST)に打ち上げられた。 通信にはアマチュア無線帯が使用され、地上局で電波の受信に成功。その後パケットロスがあったものの、画像の取得には成功した。しかし、計画していた地球の撮影自体は出来なかった。 衛星は当初の予定である約20日を越えても軌道に留まり続けたが、6月19日を最後に電波を受信出来なくなり、創価大などの地上局は2010年6月24日に衛星の運用を終了した。6月26日ごろ大気圏に再突入し、消滅したと見られている。
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打ち上げと運用
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/08/30 00:36 UTC 版)
「WASEDA-SAT2」の記事における「打ち上げと運用」の解説
金星探査機「あかつき」の相乗り衛星としてWASEDA-SAT2を載せたH-IIAロケット17号機は当初、2010年5月18日6時44分14秒(JST)に打ち上げを予定していたが、天候不順のため延期され、3日後の21日6時58分22秒(JST)に打ち上げられた。打ち上げは成功し、ロケットからも正常に切り離された。 しかし微弱な電波しか受信できず、WASEDA-SAT2からの電波かどうかを確認できなかった。2010年6月時点でも受信できておらず、6月7日以降公式サイトでのアナウンスも途絶えた。JAXAが8月2日に開催した「第3回 相乗り小型副衛星ワークショップ」では「最後まではっきりした電波は確認できなかった」と報告された。 H-IIA17号機に相乗りした小型衛星のうち低軌道に投入された3機が衛星軌道を維持できる寿命は数週間程度とされ、Space-TrackによるTLEからの軌道予測によれば、WASEDA-SAT2は長くても同年8月中旬までには落下するものと推定されていた。 NSSDCやReal Time Satellite Trackingによれば、2010年7月12日に軌道減衰(英語版)し落下したたとされている。
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打ち上げと運用
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2002年9月19日、宇宙開発事業団(NASDA)と、CRCSS参加機関を代表するオーストラリア連邦科学産業研究機構(CSIRO)はFedSatの打上げ及び利用に関する協力について定めた了解覚書をNASDA本社で締結した。この締結によって、H-IIAロケット4号機の打上げ余剰能力を活用してFedSatをADEOS-IIの副衛星として打ち上げること、その代わりにFedSatで得られた磁気観測データをNASDAに提供すること、が決定した。 そして2002年12月14日、種子島宇宙センターより打ち上げが行われた。同ロケットにはADEOS-IIのほかにも副衛星としてWEOS、μ-LabSatが搭載されていた。この衛星は日本が打ち上げた初の海外製衛星となった。 2003年1月13日に長さ2.5mの伸展マストを展開。各種の実験に成功し、18ヵ月後バッテリーの故障によって運用が終了した。
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打ち上げと運用
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/22 19:10 UTC 版)
金星探査機「あかつき」の相乗り衛星としてKSATを載せたH-IIAロケット17号機は当初、2010年5月18日6時44分14秒(JST)に打ち上げを予定していたが、天候不順のため延期され、3日後の21日6時58分22秒(JST)に打ち上げられた。打ち上げは成功し、KSATの愛称「ハヤト」が決定した。 打ち上げ直後に「交信に成功した」と発表されたが、その後の分析で「受信したのがハヤトの信号とは断定できない」と修正。5月26日に開催された宇宙開発委員会では、ハヤトと同時に打ち上げられた副衛星「UNITEC-1」、「WASEDA-SAT2」と共に行方不明として報告された。 その後もアンテナの調整作業などが続き、12日後の6月1日に鹿児島大学理学部の地上管制局での観測において、初の受信に成功した。 その後は大気中の水蒸気分布を観測し、集中豪雨や竜巻発生の予測研究に役立てる予定となっていた。しかし観測開始が予定されていた6月8日当日になって再び音信不通となった。そのまま行方不明の状態が長く続いたことで空気抵抗による軌道の変化を推定することが困難になり、コマンドの送信が難しくなった。1か月後の7月8日にはNORADも追跡情報の公開を終了し、やむなくミッションの断念が発表された。その後も過去の軌道情報を元に独自に軌道が計算され、10日朝まで交信は試みられた。大気圏再突入による消滅は14日と見込まれている。
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