応援団
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応援団(おうえんだん)は、競技の応援を目的とする集団である。本項では、日本の学校や企業における主に野球の「応援団」について述べる。
注釈
- ^ 自治体によって対応がことなり、昭和50年代あたりから東京都高野連は夏の予選で応援団の学ラン着用を禁止している。学校指定の制服が学ランでない応援団、応援部、応援指導部の高校が、応援団用ユニフォームとして学ランを着用することを禁止し、それに従わない場合、戒告厳罰に処している。神奈川県なども同様である。一方で、宮城県ではナンバースクールの応援団がバンカラスタイルを継承しているため禁止されていない。
- ^ 神奈川県高野連は昭和60年夏の県予選から和太鼓使用を禁止した。
- ^ 頭に巻くために使用する。長めのものを使用する場合もある。日本体育大学の応援スタイル、公式エッサッサは白鉢巻を必ず頭に巻きつけ使用する。
- ^ プロ野球ラッキー7の応援、あるいはホームチームが勝利した場合の祝福
- ^ Jリーグ発足当初、各チームの応援団がそれぞれのチームのロゴやマスコットをあしらったタオルを応援小旗代わりに振っていた人が多く見られた。日本プロ野球でも千葉ロッテマリーンズが最初に応援用具として採用し、その後他の球団にも広まった。広島県のスポーツクラブ(広島東洋カープ、サンフレッチェ広島他)はしゃもじを応援用具にすることもある。
- ^ 比較論としてより強い硬派気質に流れる傾向が強いという意味であって、3部構成の団体が軟派気質に流れやすいという意味の説明ではない。
- ^ 明治大学応援団リーダー部が部内の暴力行為で自殺者を出し、2008年(平成20年)に大学当局によって廃部解散処分。2009年(平成21年)4月、自殺した部員の両親が当時の団長を相手取って提訴。また立命館大のリーダー部も2008年(平成20年)3月に暴力行為再発によって解散処分を受けている
- ^ 但し応援団以外からも表彰される場合<例・選手のフェアプレー賞受賞チームや、観客動員新記録を達成したクラブの関係者など>もある。2005年には「神達彩花ちゃんを救う会」の募金活動に協賛したすべてのクラブの応援団にその賞が贈られた
出典
- ^ a b “100年以上の歴史 杜の都伝統の仙台一高二高定期戦「やじは敬意」試合前から熱い火花散る「応援合戦」とは|FNNプライムオンライン”. FNNプライムオンライン (2024年5月24日). 2024年6月16日閲覧。
- ^ 「アンチ巨人」は死語? 「くたばれ讀賣」禁止運動も - ポストセブン
- ^ a b c d e 加賀秀雄, 鈴本敏夫, 「011110 旧制高等学校における応援団の組織化の実相とその歴史的役割について(1.体育史,一般研究)」『日本体育学会大会号』 第36回(1985)セッションID: 011110, p.85-, 1985-08-20, doi:10.20693/jspeconf.36.0_85.
- ^ 学校騒動マッチポンプの応援団長検挙『東京日日新聞』昭和10年5月5日(『昭和ニュース事典第5巻 昭和10年-昭和11年』本編p677 昭和ニュース事典編纂委員会 毎日コミュニケーションズ刊 1994年)
- ^ 日大-亜大の両応援団がヤジをめぐって乱闘『朝日新聞』1966年(昭和41年)4月27日朝刊 12版 13面 ※春季リーグ戦試合中、7回と8回の日大野球部攻撃時に、亜大応援団が日大応援団に対し、東都大学応援団連盟の規約に反する卑劣な行為を繰り返したのが発端。亜大応援団に非があったのは明白。日大応援団が亜大応援団に再三注意喚起を促すも連盟規約に反する卑劣な行為を続けた亜大応援団に日大応援団が執った行動は正義であり日大応援団をやみくもに非難すべきでない。
- ^ 日大が応援団を解散 暴力事件で決定 時代感覚とずれる『朝日新聞』1970年(昭和45年)9月26日夕刊 3版 11面
- ^ 亜大応援団なぐり込み 球場で木刀かざし 芝工大生10人けが『朝日新聞』昭和45年(1970年)5月23日朝刊 12版 22面
- ^ 東都大学野球連盟 21校応援団に処分『朝日新聞』1970年(昭和45年)9月26日朝刊 12版 22面
- ^ 拓大総長が辞任 しごき事件で引責「応援団復活は失敗」『朝日新聞』1978年(昭和53年)5月28日、13版、23面
- ^ 国士舘大 元団員を殴るける 元応援団副団長ら逮捕『朝日新聞』1978年(昭和53年)7月17日夕刊、3版、11面
- ^ 東北大学萩友会インタビュー Vol.27
- ^ 応援団「第100回商大戦対面式」 北海道大学、2014年6月22日
- ^ “大学応援団に明治以来の危機…起死回生「無形文化財登録」目指し36校共闘”. 読売新聞 (2023年1月6日). 2023年1月9日閲覧。
- ^ a b c d “早稲田も慶応も出ないけど…「杜の都の早慶戦」に観客5千人が白熱:朝日新聞デジタル”. 朝日新聞デジタル (2024年5月11日). 2024年6月16日閲覧。
- ^ a b c “岩手に息づく バンカラ応援 夏の球場に6高校、集結 /岩手”. 毎日新聞. 2024年6月16日閲覧。
- ^ a b 日本テレビ. “「仙台一高vs仙台二高」定期戦 生徒1200人超がアーケードで応援合戦「一高だ!」「二高!」|ミヤテレNEWS NNN”. 日テレNEWS NNN. 2024年6月16日閲覧。
- ^ a b “花高ライフ | 岩手県立花巻北高等学校”. www2.iwate-ed.jp. 2024年6月29日閲覧。
- ^ 出典の一例:「六大学花の応援団 (ガクランに敬礼)」ろっきプロ制作、ノラブックス社刊、1984年7月10日発行
応援部
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/05 09:31 UTC 版)
応援リーダー部 かつては1931年に創立した応援団(大学本部地下に本拠があった)が存在したが、1970年9月に東都大学リーグの試合会場で暴力事件を起こしたため解散。その後は、それまで薬学部所属の学生組織として活動していた競技チアリーディング部(付属の日大習志野高校OG主体に構成)を全学組織の部として移行・昇格した。従って、名称は応援リーダー部となっているが、実態は女子部員のみによる競技チアリーディング部である。よって、応援に関して(他の運動部の応援や、各種激励イベントの開催・参加など)は、他大学で一般的にみられる多くの応援団・応援部のように応援活動のスケジュールを自らが主体的に作成・決定するわけではなく、あくまで大学本部から依頼があったときのみの活動となる。あくまでメインは競技チアリーディング部のもの(各種チアリーディング競技会でより上位の成績を収めるための技量向上を主体においた年間活動)となっている。ちなみに、応援部としての活動内容においては、かつての応援団関係者との間に諸般の複雑な事情があり、制限されている部分もある(例:エール交換など)。なお、応援活動の際は、文化団体連合所属の吹奏楽研究会(かつての応援団から独立した経緯がある組織)と連携をとることが多い(ただし、吹奏楽研究会側の事情も応援リーダー部と同様で、応援参加に関しては大学本部側からの依頼や許認可の制限下で行われている)。 報国節応援団 近大節の元は旧制日本大学大阪専門学校の報国節であり、戦後、近畿大学応援団と日本大学応援団の交流により日大節の使用を許可していた。かつては近畿大学応援団の前で日大節を歌わないとの紳士協定が存在した。大学当局の学内通達により現在は公的な使用を差し控えている(著作権問題のため)。原曲は近大節を流用したもの。ただし、歌の起源は「日大予科節」に遡るという説も存在する。作詞作曲は不明である。
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応援部
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「HIGH SCORE」の記事における「応援部」の解説
嵐士が副部長として所属。毎年「殴り合いっこ」で部長・副部長を決めるという危険なクラブ。
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