当主一覧
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本家名生没年諱号・称号・字作品家督相続備考初代 狩野山楽 1559年 - 1635年 光頼 伯山 養源院障壁画(京都・養源院)重要文化財など 実父木村永光、狩野永徳の養子 2代 狩野山雪 1589年 - 1651年 光家 蛇足軒・桃源子・縫殿助(以降当主の通称となる) 天球院襖絵(京都・天球院)1631年 重要文化財など 山楽の女婿 3代 狩野永納 1634年 - 1700年 吉信 山静・梅岳・素絢軒・一陽・西邑居翁山人、字:伯受・一陽斎 「海住山寺縁起絵巻」1664年、「養老滝図」1667年、蘭亭曲水図屏風(静岡県立美術館)、遊鶴図屏風(出光美術館)、四季花鳥図屏風(ボストン美術館)、詩仙堂三十六詩仙(ニューヨーク公共図書館)など 山雪の実子(別に山楽の孫光吉の子とするが説ある) 狩野探幽、海北友雪、土佐光起らと内裏障壁画を制作。日本初の画人伝『本朝画史』を著す。鑑定家。 4代 狩野永敬 1662年 - 1702年 仲簡子・幽賞軒、通称・求馬 関地蔵院本堂の天井画、岩倉実相院玄関の障壁画、「十二ヶ月花鳥図屏風」(東京国立博物館)、「秋草図屏風」(静岡県立美術館)、朝鮮人行列図巻(ニューヨーク公共図書館)、朝鮮通信使屏風(ハーバード大学サックラー美術館) 永納の長男 門人に高田敬輔 5代 狩野永伯 1687年 - 1764年 清信 山亮 「松竹梅に鶴図屏風」(大分市美術館)、「富士秋景図」(六波羅蜜寺)、「大雲寺境内図絵馬」(大雲寺) 永敬の実子 江戸狩野に入門した? 6代 狩野永良 1741年 - 1771年 山晟 「西王母・東方朔図屏風 」「親子犬図」(静岡県立美術館)、「耕作図屏風」「白梅群鶏図」(京都国立博物館) 永伯の養子 九条家に仕える。宮廷にも仕え、扇絵を献上した。31歳で夭折。 7代 狩野永常 1731年 - 1787年 山隆 神辺宿の菅波家二の間「千羽鶴図」、御成の間 袋戸棚の襖絵「墨彩四季山水図」、佛光寺本廟障壁画6面、「四季耕作図屏風」(承天閣美術館(萬野美術館旧蔵))、「春秋花鳥図屏風」(個人蔵) 狩野永隆の二男で永良の養子となる。 8代 狩野永俊 1769年 - 1816年 山朴 「郡鳥図天袋貼付」(大報恩寺)、「楼閣山水図屏風」(京都聖護院)、「八幡太郎義家図絵馬」(今宮神社)、「三尚山水図」(いすみ市郷土資料館) 永常の養子 寛政度の御所造営に参加。常御殿上段之間を担当。 9代 狩野永岳 1790年 - 1867年 山梁・晩翠・脱庵、字:公嶺 隣華院(妙心寺塔頭)客殿障壁画、「富士山登龍図」(静岡県立美術館)、「四季耕作図屏風」など 永俊の養子 10代 狩野永祥 1810年 - 1886年 山庵 離合山水図押絵貼屏風 (静岡県立美術館) 永岳の養子 11代 狩野永譲 1865年 - 1914年 儀三郎 永祥の養子 12代 狩野永証 1909年 - 1983年 儀三郎 永譲の実子 別家名生没年諱号・称号・字作品家督相続備考初代 狩野永梢 花鳥山水襖絵(徳融寺)、藤の図屏風(伊賀上野城) 狩野永納の二男 東本願寺絵所に就任 2代 狩野永雪
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