当主位の相続
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2016/06/19 15:10 UTC 版)
「ダウラト・ラーオ・シンディア」の記事における「当主位の相続」の解説
1779年、アーナンド・ラーオ・シンディア(トゥコージー・ラーオ・シンディアの息子)の息子として生まれた。 1794年2月12日、大叔父であるシンディア家の当主マハーダージー・シンディアが死亡し、その養子となっていたダウラト・ラーオが後を継いだ。 同年3月3日、ダウラト・ラーオはマラーター王国宰相府にその継承を正式に認められ、 5月10日にはムガル帝国の皇帝シャー・アーラム2世により、帝国内における地位である副摂政と軍総司令官に叙任された。マハーダージーの保持していた地位は摂政、軍総司令官であり、副摂政は格下げであるものの、シンディア家が帝都デリーを保護していたからか軍総司令官の地位は与えられている。 シンディア家の領土はマハーダージーの治世に中央インドのグワーリヤルを中心に拡大し、ムガル帝国の首都デリーを含め、広大な北インドの地域を支配していた。
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