当事件に関するデマ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/10 06:39 UTC 版)
「良栄丸遭難事故」の記事における「当事件に関するデマ」の解説
良栄丸の遭難と漂流に関しては、1965年以降(昭和40年代以降)の児童向ミステリー事件の紹介本[要出典]、それらが情報源となっていると推察されるweb上の情報を中心に、事実無根の話が散見される。 その内容は「乗組員が半狂乱になって悶死した」「狂ったようになって仲間の死体を切り刻んだ」などで、web上に出回っている文章はほぼ同一である。児童書に慣れ親しんだ広い世代を通して、またひかりごけ事件と混同した誤解が長期にわたり語り継がれることになったと推測される[誰によって?]。乗組員が残した日記にはそのような内容は一切なく、ほぼ流言飛語のようなものである。[独自研究?]そのような事実無根のデマが流れた要因として、事件そのものは不幸な漂流の遭難で人目を引く事件とは言えず、正確に再度紹介される機会は少なかったこと、デマの内容がタブーの食人行為を巡るものであったことが大きい。[独自研究?] 「遭難の孤立状態で人肉食におよんだ」という話とその様子について描写したものの発端は、事件当時のアメリカの新聞の推測記事とみられ[要出典]、アメリカでの報道には、当時のアメリカで「悲惨な遭難の結果人肉食に至った」事件として有名な「ドナー隊事件」と結びつけるネガティヴな記事があり、備品の大漁旗も野蛮民風習と紹介されるなど、事実無根な報道も一部にあった。 当事件について北杜夫の『どくとるマンボウ航海記』(1960)には、かなり正確に[独自研究?]紹介されている。
※この「当事件に関するデマ」の解説は、「良栄丸遭難事故」の解説の一部です。
「当事件に関するデマ」を含む「良栄丸遭難事故」の記事については、「良栄丸遭難事故」の概要を参照ください。
- 当事件に関するデマのページへのリンク