吉澤家当主一覧
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/04/19 05:47 UTC 版)
「佐野市立吉澤記念美術館」の記事における「吉澤家当主一覧」の解説
吉澤松堂(1789年 - 1866年)名は恵、字を孟篤、11代兵左衛門。酒造業を営む。文人墨客と交わり高久靄厓の支援者のひとり。靄厓より画を学び、墨竹図を得意としコレクションに含まれる。また渡辺崋山とも交流し「風竹図」を贈られた。 吉澤象水(1813年 - 1883年)松堂の子。12代兵左衛門。名は潜・字を孔昭。酔臥とも号した。植林事業を行う。高久靄厓に画を学び、明清の書画を蒐集したという。 吉澤慎堂(1846年 - 1905年)初代兵左 象水の子。名は紹・字を公烈。明治6年に石灰製造に乗り出し吉澤石灰工業株式会社の前身とする。明治22年に初代葛生町長に就任。 吉澤晃南(1887年 - 1951年)二代兵左 慎堂の子でその跡を受けて第二次世界大戦後まで石灰事業を経営。狩野探幽「十牛図」・伊藤若冲「菜蟲譜」を入手。 吉澤兵左(1926年 -2011年 ) 三代兵左 吉澤石灰工業株式会社会長 茨城県筑西市出身。実父が板谷波山と親交。
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