常識学派の受容
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「スコットランド常識学派」の記事における「常識学派の受容」の解説
その後アダム・スミスの後任としてグラスゴー大学に転任したリードはそこを常識学派の第二の拠点とし、『人間の知的能力について』(1785)と『人間精神の能動的能力について』(1788)という著作を相次いで発表した。これらの著作においてリードは近代哲学の懐疑主義的傾向、とりわけバークリーとヒュームの認識論を「哲学を破壊し、真理の可能性そのものを奪うこと」であると批判した。リードは、デカルトに始まる近代哲学が懐疑的傾向を持った原因を、彼らが「観念」を媒介にすることでしか「知識」を獲得できないと主張した点に見出した。そして彼は認識の源泉を観念ではなく、精神の「能力」とその「作用」として、それ以上分析することができない自明の「コモン・センス(常識)の原理」を根拠とする認識論を構築し、精神の解剖学を樹立することを目指した。 リードの提唱した「常識の原理」から出発し、それを主に宗教の領域に適用したのがジェームズ・オズワルドであり、美学の領域に適用したのがジェームズ・ビーティーである。オズワルドとビーティーの活動により、「常識学派」の知名度や名声は高まるものの、リード本来の「疑い得ないコモン・センスに立脚した認識論の構築」という意図から外れ、「懐疑論」への批判と「宗教および既存道徳」の擁護という側面が強調されて一般的に受容されることとなった。ともあれ、オズワルドとビーティーによる「常識学派の拡大」は、この時期のスコットランド思想界を特徴付ける重要な継起となる。 『宗教擁護のための常識への訴え』(1766-72)の著者であるジェームズ・オズワルドは、リードやビーティーとは異なり、スコットランド教会の有力な聖職者であった。彼は議論と推論による「神の存在証明」を求める当時の支配的な立場だった「穏健派」宗教人に対して疑問を呈し、神の存在は「コモン・センスとよばれる人間に独自な知覚・判断能力」によって直感的に把握できると主張した。 『真理の性質と不変性――詭弁と懐疑論への反駁』(1770)の著者であり、アバディーン協会の会員でもあったジェームズ・ビーティーは、リードの主張に基本的には同調しながらも、「現代人の思弁的形而上学ほど唾棄すべきものはない」と述べ、近代哲学の伝統的形而上学を批難した。彼は「コモン・センス」を「漸進的な論証によってではなく、瞬発的で直感的な衝動によって、教育や習慣ではなく、自然に由来する衝動によって、真理を知覚し信念を呼び起こす精神の能力」と定義した。彼によればこの能力は我々の意志と無関係に、全ての人に「共通(コモン)」の「感覚(センス)」である。 一般的にリード、オズワルド、ビーティーの三人を以ってスコットランド常識学派の代表者とされることが多いのは、哲学者・科学者として著名であったイングランドのジョゼフ・プリーストリーによって、彼ら三人への反論、『リード博士の『研究』、ビーティー博士の『論文』、およびオズワルド博士の『訴え』の検討』(1774)が、常識哲学への反論として広く受け入れられたことが大きいだろう。唯物論者でもあったプリーストリーは、ヒュームの懐疑論へ対抗したいという思いは常識学派と共にしていたものの、存在を仮定された「第六の感覚(すなわち常識)」にその基盤を置くことを容認できなかったのである。プリーストリーの批判書はドイツ語やフランス語にも翻訳され、カントもそれを読んだとされている。
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