常識学派の影響
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/03 14:25 UTC 版)
「スコットランド常識学派」の記事における「常識学派の影響」の解説
スコットランド常識学派はウィリアム・ハミルトン卿を最後として、イギリス観念論、あるいは直観主義に吸収された。例えばハミルトンの弟子で、ヘーゲル研究で知られるジェームス・ハチソン・スターリングは、イングランドのトーマス・ヒル・グリーンやジョン・マクタガード等と並び、イギリス観念論の主要人物の一人として見なされるものの、「スコットランドの」哲学者として見なされることはあまりない。スコットランドのイングランド化が進み、スコットランドで学んだ学者がイングランドで教鞭を執ることも、またその逆も珍しくなくなった。スコットランドの大学が持っていた独自の伝統とともに、常識学派という括りもまた消滅したのである。 しかしながら、「常識学派」は消滅したとはいえ、その思想は様々な姿で受け継がれている。例えば先述のイギリス観念論である。ハミルトンの直系の弟子であるマンセルやスターリングを初めとして、イギリスの哲学者とりわけ直観主義に立つヘンリー・シジウィックやG.E.ムアのような哲学者は、リードやステュアートの伝統を守り、「コモン・センス」を重要視していた。 海峡を渡ったフランスにおいては、メーヌ・ド・ビランやロワイエ=コラールによってかなり早期からリードやスチュアートの哲学の受容は進んでいた。彼らの影響を強く受けたヴィクトル・クーザンは、常識学派の内観への注目などの観点から思想を展開させ、後に「フランス・スピリチュアリスム」と呼ばれる、アンリ・ベルクソンに至る思想潮流を形成することとなる。またクーザンはハミルトン卿と論争を繰り広げるなど、後期常識学派へも強く影響を与えた点も見過ごすことは出来ない。 大西洋を渡ったアメリカにおいては、常識学派の著作は、その影響を強く受けたジェームズ・マコッシュらにより長老派系の大学(例えばプリンストン大学)の教養科目として幅広く利用され、後にチャールズ・パースによって「批判的常識主義」として新たな展開を迎えることになる。 このように、常識学派とは「真剣な哲学の試みであるとは言えない」どころではなく、現代思想の源流の一つとして重要な位置づけをなされるべき思想なのである。
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