常識学派の形成と「アバディーン哲学協会」
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「スコットランド常識学派」の記事における「常識学派の形成と「アバディーン哲学協会」」の解説
スコットランド常識学派は当初はアバディーン大学で、次にグラスゴー大学、そして最後にエディンバラ大学において発展を遂げることになる。 前述の通り、「常識学派」形成の最大の原因となったのはデイヴィッド・ヒュームの『人間本性論』(1739-40)や、それに続く『人間知性研究』(1747)である。ヒュームの『人間本性論』は出版当時から宗教的保守層から強烈な批判を受けていたのだが、一方でスコットランドの思想界に重大な影響を与えた。後に常識学派の代表的人物と見なされるトマス・リードもまた、ヒュームの衝撃を受けた一人であった。アバディーン大学マーシャル・カレッジでジョージ・ターンブル等からバークリ哲学を教わった後、ニュー・マーカーの教会で牧師をしていたリードは『人間本性論』を読み、それまで受け入れていた学説を疑問視し始めた。 一方ヒュームが展開した懐疑主義から、既存の道徳や宗教(とりわけスコットランドの伝統宗教である長老派教会)を擁護する試みとして本格的に活動を始め、「常識学派」の形成を準備したのはスコットランドの法律家・著述家であったケイムズ卿ヘンリー・ヒュームである。ケイムズ卿はその著書『道徳と自然宗教の原理』(1751)において、認識論と道徳論の二方面からヒュームの思想を批判した。ケイムズ卿は、認識論においては我々は印象や観念を媒介せずに外的世界を直観できるという立場を強調し、道徳論においては「道徳感覚」の先験性を主張し、後の常識学派の流れを決定付けた。 ケイムズ卿の『道徳と自然宗教の原理』出版と時を同じくする1751年、トマス・リードはアバディーン大学のキングスカレッジに道徳哲学のリージェント(教授)として就任した。リードはケイムズ卿の『原理』から強く影響を受け、出版後ただちにその抜粋を執筆し、その後にケイムズ卿と文通を始めている。また、アバディーン大学ではジャコバイトの乱での教員刷新以来、キングス・カレッジとマーシャル・カレッジという二つのカレッジを中心として(低地地方の大都市に比べれば小規模なものの)啓蒙の苗床となる土台があり、1753年から始まるリージェント制から教授制への大学改革もその啓蒙の傾向に拍車をかけていた。リードも早くから学内の「哲学クラブ」を初めとする研究会に参加し、ヒュームやその批判者ケイムズの検討、及び感覚についての研究を行った。 1758年、リードを含む6名のアバディーン大学の教授らによって、「哲学クラブ」と「神学クラブ」とを前身とする学術団体「アバディーン哲学協会」が設立された。「アバディーン哲学協会」では、当時のスコットランドの諸学術団体(エディンバラ哲学協会、グラスゴー文芸協会等)と同様に、自然科学から人文学まで幅広い議論が展開されていた。この「哲学協会」での発表や討論の結果生まれたジョージ・キャンベルの『奇跡論』(1762)、リードの『常識原理に基づく人間精神の研究(邦題:心の哲学)』(1764)の刊行を以って、「スコットランド常識学派」は世にその姿を現すこととなる。
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