常識と真理
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/08 02:50 UTC 版)
常識は特定の社会の成員が共有し、前提として疑わない認識のことであるから、特定の社会に限定されない普遍性を条件とする真理とは時として相違する。哲学者の三木清によれば、常識の上位概念として良識(りょうしき)があるという。彼によれば常識人が常識を無謬のものとして受容し、常識を盾にして非常識を断罪するのに対し、常識に疑問を持てる知恵が良識なのである。 かようにして、常識というものにも二つのものが区別されるであろう。それは一方、すでにいった如く、或る閉じた社会に属する人間に共通な知識を意味する。この場合、一つの社会の常識と他の社会の常識とは違い、それぞれの社会にそれぞれの常識がある。しかし他方、あらゆる人間に共通な、人類的な常識というものが考えられる。それは前の意味における常識と区別して特に「良識」と称することができる。例えば、「全体は部分よりも大きい」というのは常識である。それは「自然的光」によってすべての人間に知られるものであって、直接的な明証をもっている。それは知性の自然的な感覚に属している。 — 三木清『哲学入門』
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