常識の規範的性格
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/08 02:50 UTC 版)
三木清と同じく京都学派の西田左派として知られる戸坂潤は次のように述べ、常識は社会の平均的認識のことではなく、標準的認識という意味での規範的性格を持つと主張した。 今この矛盾を解くためには、この平均値という観念の謎を解く必要がある。と云うのは、この平均値を正直に単純に社会に於ける各個人の量質的な総和平均のことだと考えていては之は解けない。それが平均値であるが故に(どういう根拠だか判らないが)おのずから標準的なものであり、又理想的なものだというのでなくてはならない。リード的常識の常識的態度は恰も、之を健全という標準又は理想で以て云い表わしたのであった(bon sens という常識概念も亦、こうした標準又は理想をひそかに想定している)。健全とは無論、病気と健康との総平均などではなくて、各人の健康状態の標準であり又理想のことなのである。それにも拘らず健全さは人間健康のノルマルな常態だと考えられる。この間の消息は、健康の保持(不健康疲労物質の新陳代謝と健康恢復)というものが伝えている。即ちたえず健康を引き上げ健康さを発達させることが、人間の平均的な従ってノルマルで通常の健康状態と考えられるわけである。 — 戸坂潤「三 「常識」の分析」『日本イデオロギー論』
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