山海関事件とは? わかりやすく解説

山海関事件

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/05 02:50 UTC 版)

塘沽協定」の記事における「山海関事件」の解説

日本義和団の乱の際に結ばれた北京議定書においてロシア意識した要求行い万里の長城東端位置する山海関とその西南15kmにあり不凍港として重要視される秦皇島などに駐兵する権利得ていたため、この時期山海関には北寧鉄路南側兵営歩兵100人と工兵小部隊を駐留させ砲台を4基設けとともに秦皇島には守備隊50人を駐屯させていた。 1933年1月1日午後9時20分頃、山海関南門日本憲兵分遣構内、同憲兵分遣所長宿舎奉山線山海関駅日本軍鉄道看視哨所及び満州国国境警察付近に手榴弾投じ小銃射撃加えた者があり、日本軍守備隊直ち警戒配置につき、中国側とは協定を結び小康状態保っていた。1月2日午前11頃日本軍守備隊協定に基き南門の処理に向かおうとしたが、中国軍依然南門付近にあって不法に突如射撃加えてきたため兒玉利雄中尉戦死し、他に数名負傷者出した日本側の報道によると日本軍守備隊自衛やむなく応戦し午後3時30以後山海関付近中国軍戦闘開始して奉山沿線にあった関東軍一部増援として得た陸軍省は、これは当時張学良盛んに熱河省並びに山海関付近において反満抗日行動に出つつある情況から、中国側官憲日本国際的地位不利にするため行った計画的挑戦であることが明らかであると発表した支那駐屯軍司令官中村孝太郎中将1月2日午後1130北平歩兵隊粟飯原中佐通して張学良対す軍司令官警告手交し日本人居留民山海関及び秦皇島とも守備隊兵営収容し保護された。 1月3日日本軍爆破隊は山海関沖にある駆逐艦からの艦砲射撃綏中から飛来し航空機爆撃援護得て山海関南門爆破すると、戦車隊守備隊一部突撃して中国軍撃退し1155日章旗揚げた。両軍歩兵同等だったが日本軍駆逐艦芙蓉」と「刈萱」からの艦砲射撃加え19門の野砲、7機の航空機中国軍の軽・小火器対峙したため圧倒する至った日本軍はこの戦闘後中国側内部侵攻する動き見せず日本軍司令官からは停戦申し入れなされた一方日本側の報道によると近く秦皇島にいた中国軍山海関陥落の報に逃げ腰となり中国人一帯わたって恣意的な徴発略奪)を行ったため中国住民恐慌をきたし、さらに避難した日本人居留民家屋からも一物残さず略奪していた。 日本軍山海関南門攻略に関する報道日本側と中国側異なっていたが、外国信頼できる情報源多く日本側の報道支持した。 山海関事件について当時ロンドン・タイムズは、日本最終的に熱河省から無法者追い払う意図決し隠したことはないが、この事件中国側挑戦よるものとする日本側の主張現場近く日本の軍隊がいなかったという事実と戦闘始まった時には第二師団釜山から日本向けて出航していた事実によって裏付けられるとし、「中国側西欧列強支援を得るためのものではないか」と論じた同じく英国デイリー・メール紙は事件は主に張学良よるもので彼は国際連盟日本に対して実力行使することを期待したではないか論じた中国側日本軍による山海関占拠合法性認めなかったが、ロンドン・タイムズは「1901年調印され北京議定書に基いて占拠している日本軍に対して中国軍攻撃的態度取ったことは中国軍責任であり、日本側が侵略されたとして防御するのは当然の権利」と説明している。 フランスではフランス社会党党首レオン・ブルムが同党の機関誌において反日的な論説行い日本との即時断交主張したが、4日夕刊各紙報道はいずれ日本弁護した。『タン』紙は「日本軍北平への進出説があるが軽々しく信じられぬ」とし、『リベルテ』紙は「山海関事件は中国側が悪いに相違ない国際連盟事務局の力でごまかすだろう」と報じた一方で、この事件の原因支那駐屯軍山海関守備隊隊長落合甚九郎謀略とする研究もある。

※この「山海関事件」の解説は、「塘沽協定」の解説の一部です。
「山海関事件」を含む「塘沽協定」の記事については、「塘沽協定」の概要を参照ください。

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