学習・教育
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/31 21:43 UTC 版)
「英学」、「英語 (教科)」、および「英語教育」も参照 明治維新による近代化以降、特に第二次世界大戦後にかけて、官民ともに、第一外国語としての英語教育が強化されていった。 戦前の日本の英語教育は、主にイギリス英語が主流であった。しかし、戦後から現在に至るまで、日本社会がアメリカの影響を強く受け、学校教育での「英語 (教科)」や英会話の学習などもアメリカ英語がほぼ主流になっている。 英語の教科書を用いて英米人から学ぶ方法を「正則英語」、対して翻訳式の教授法を「変則英語」と呼んだ時期もあった。 アジアの例えば、アメリカの植民地であった影響から、フィリピンでは理系科目を含め多教科を英語で指導しているが、日本ではそうではない。翻訳書を含め、日本語による教材・専門書も充実している。それは、お雇い外国人以後の日本人指導者育成の観点もあり、明治期から専門用語の和製漢語化が顕著だったことによる、という指摘もある。 学校教育においては、戦後は「外国語」という教科の1科目という扱いになっているが、殆どの学校では英語が選択されている。 覚える英単語数については、1960年代には6700 - 6800であったが(後述書)、ゆとり教育時になると2200になり、その後は2600となっている。3000字以上覚えれば、大抵の(英字)書物や新聞が読めるようになるという主張自体は明治期から見られ、新渡戸稲造は『修養』(明治44年刊)第十七章「迎年の準備」内の「知識の貯蓄を増すことも必要」の項において、1日に文字を3つずつ覚え、3年で3千字覚えるアドバイスをした2人の上達を紹介している(新渡戸自身はこの方法でドイツ語も覚えたが、1日1字でもよいと記している)。英単語の学習書としては、1967年発売の森一郎『試験にでる英単語』はロングベストセラーとなった(それ以前の1942年に刊行された赤尾好夫『英語基本単語熟語集』=通称:赤尾の豆単、1935年の『英語基本単語集』が前身もまた人気を博した)。 戦後間もない初等英文として定番だったのは「This is a pen.」。1949年三省堂の教科書に登場した。なお、これをそのままザ・ドリフターズの荒井注は用いて、自身の代表的ギャグの一つとなった。同じpenでもピコ太郎は2016年、「I have a pen.」で歌詞が始まる楽曲『ペンパイナッポーアッポーペン』で一躍話題を集めた。 2002年度(平成14年度) - 2009年度(平成21年度)にかけて、「スーパー・イングリッシュ・ランゲージ・ハイスクール」(SELHi)という文部科学省主導のプロジェクトがあった。 2011年度(平成23年度)から、文部科学省の新学習指導要領で、小学校での外国語(英語)活動が必修となった。 2013年度(平成25年度)から、英語の授業は、高校1年生から原則として英語で行うこととなった。 また、同じく2013年(平成25年)に文部科学省が、翌年度から全国約50校を、英語を重視した「スーパーグローバルハイスクール」(略称SGH)として指定する方針を発表した。
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