嫡流とはとは? わかりやすく解説

嫡流とは

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/06 06:33 UTC 版)

嫡流」の記事における「嫡流とは」の解説

氏族血統重んじられ古代中世において、氏族秩序氏長者中心に維持されてきた。中世一時的に氏長者権威低下する時期もあったものの、氏長者には氏爵といい、朝廷より一門対す叙位任官推薦特権付与されていた。 こうした中で、氏長者地位は、主に氏長者その子孫により継承されたが、その継承方法には「氏的継承」と「嫡流継承」の二つ考え方があった。前者は古い形態継承方法であり、一族中において最高位地位にある者が氏長者地位に就くという考え方であった律令法においては嫡男あくまでも蔭位のための規則過ぎず氏長者継承条件としての意味は全くなかった逆に最高位地位占めるという要件満たせ庶流でも氏長者に就く可能性もあった。 これに対して平安時代後期から登場したのが、正室を母とする嫡男によって代々継承されるという後者存在である。これによって一族の財産地位分散最小限止め血筋尊貴さと正当性有する嫡流氏族栄達成し遂げ得る存在であり、庶流とも官位などの面で大きな差がつけられた。ただし、「氏的継承」が直ちに「嫡流継承」へと移行したわけではなく所領分散防止観点から武士社会において先行して社会全般において「嫡流継承」の原理完成するのは鎌倉時代後期入ってからである。 特に公卿にあって内裏差配独占した藤原氏は、藤原道長家系摂政関白の座を独占し続けることで摂関家としての地位獲得し嫡流近衛家筆頭とする、九条家二条家一条家鷹司家五摂家形成する至った。ただし、古い氏族由来する摂関家においても長く「氏的継承」と「嫡流継承」が混在し続ける事になり、五摂家のうちの1つだけ嫡流地位占めという事態は、ついに生じなかった。 一方武家においては武士の棟梁として台頭した河内源氏流れを汲む源頼朝源氏嫡流称して鎌倉幕府開き御門葉という一族や有力御家人中心とする武家政治基礎形成した同じく鎌倉幕府政権掌握した北条氏一門幕府要職独占したが、執権の職は数例を除いてそのほとんどが得宗家により継承され惣領たる地位を継ぐ嫡流地位は非常に重んじられた。 室町時代以降武家においては次第惣領制強化されつつあり、嫡流家系宗家本家形成し庶子家次第庶家として、宗家家臣として編入される例もみられたが、庶流にも一定の独自性担保され、嫡流からの自立図ったり、公然と逆らう者もあったほか、宗家簒奪打倒を図る者さえあった。特に戦国時代室町幕府開いた足利氏嫡流 足利将軍家対し庶流細川氏管領として実権奪ったり、出雲守護嫡流であった京極氏庶流尼子氏守護地位簒奪されるなど、血筋では地位権力担保し得ない実力本位時代でもあった。 しかし、徳川家康江戸幕府開いた江戸時代以降長幼の序重んじる徳川将軍家により、嫡流地位徳川氏政権にあって再び重視されるようになった明治民法旧規定では家督相続規定である「家制度」が存在したが、太平洋戦争後の民法改正では家督制度廃され今日の日本では嫡流という価値観概念日常的なものとしては存在していない。しかし家の祭祀家名存続長男責務とみなすことも多い。

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