大正初期の国体説とは? わかりやすく解説

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大正初期の国体説

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/13 14:34 UTC 版)

国体」の記事における「大正初期の国体説」の解説

大正初期には、国体主要問題である統治権問題について議論沸騰する。これは、天皇機関説論争国体関わる事として論壇大問となったからである。 1913年大正2年3月朝鮮総督寺内正毅(後の首相題字加藤弘之序文加藤蔵著作により『国体擁護 日本憲政本論』が公刊される。同書曰く憲法擁護とか責任内閣とか憲政有終の美とかいうのは当世通俗流行語であって、それはつまるところ政党意向によって天皇大政左右しようとするものであり、明らかに国体破壊であり、憲法違反である、と。 同年同月川面凡児が『国体淵源 日本民族宇宙観』を著す。著者以前から大日本世界教というものを唱え日本の神道を基本として在来宗教総合統一するという全神教なるものを主張していた。同書によると、我が国体は神代より遺伝する宇宙観淵源し、天御中主尊の旨を奉じて修身・斉家・治国・平天下理想とする、という。 同年5月石川岩吉が『国体要義』を著す。著者国学院主事皇典講究所幹事兼ね、のち昭和東宮傅育官、宮内省御用掛、国学院大学理事長兼学長に就任する同書では、国体という語に様々な用法があることを説き要は神代初め、イザナギ・イザナミ両神国土修理成して三貴子天照大神・ツクヨミ・スサノオ)を得て天照大神による天孫降臨天壌無窮の神勅があって、国体基礎定まった、と論じる。 同年11月筧克彦が『国家研究』を著す。著者東京帝国大学法学部教授ありながら古神道に基づく「神ながらの道」に帰依し教室かしわ手を打つなど奇矯言動知られるが、天皇機関説論争に関して穂積八束らの天皇主権説を国体反す権力主義として批判した。『国家研究』では以下のように説く大意)。 皇国は、表現人である神聖な自主者・総攬者天皇)を戴くことを離れず成立し存在している一心同体である。この意味をもって君臣の分が定まり古来動揺するとがない。これが皇国国体である。国体とは建国法により定まっている国家体裁である。 国体政体厳格に区別しなくてはならない政体とは、建国法より下の憲法などによって定まっている国家体裁であり、これは社会各般事情に応じて変遷するのである今日立憲制度憲法により定まっている政体である。政体はますます変化発展する必要があり、国体がますます不動強固になるのは必然である。 皇国精華である理由は、その国体が健全であるからである。なぜ健全であるかというと国体随神かんながら)道、すなわち古神道大理想・大信仰に基づくからである。 皇国国体は、各人真情存する和魂にぎたま)を主義として、荒魂あらたま)を滅却することにある。皇国国体現世秩序尊重することを精神とする。皇国国体はこの博大和魂と、それが現れた仁忠と離れず存在する本来の一心同体発揚旨とする。本来の一心同体主体とすることをもって皇国国柄となす。 同年5月東郷吉太郎が『御国体及其淵源』を著し君臣一体、忠愛一本国体詳説する1914年大正3年)『東亜之光』8月号にFS氏なる人物が「所謂民本主義は無責任国体」という文を載せる

※この「大正初期の国体説」の解説は、「国体」の解説の一部です。
「大正初期の国体説」を含む「国体」の記事については、「国体」の概要を参照ください。

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