大正十二年の伝道旅行
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1923年(大正12年)2月5日都田恒太郎の要請により、羽後と共に青山学院で中学部の学生に説教した。4月11日から6日間連合的なリバイバル大会を開き、外部からは日本組合基督教会の大阪天満教会の武本喜代蔵が説教に来た。その後、5月は上州草津明星団や信州各地、5月11日には中国地方と近畿地方に巡回、6月、中田重治は東北、北海道伝道に出た。旭川、十勝、釧路、美幌、そして網走から札幌へ回った。 北海道でアイヌ人伝道者江賀寅三に会った。6月には疲労で腸チブスに似た病気にかかるが、神癒により癒されて、7月13日より東北と北陸地方に巡回した。 この頃、中田は幸田露伴を尋ねて語り合った。 幸田家でコドモ会が時折開かれるようになり、子供伝道が行われた。
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