大正大噴火による埋没と移住とは? わかりやすく解説

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大正大噴火による埋没と移住

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/15 15:22 UTC 版)

有村町」の記事における「大正大噴火による埋没と移住」の解説

1913年大正2年9月17日火山ガスによって有村母子死亡した事案があり、これはのちに発生する大正大噴火前兆現象とみられ、大正大噴火前の最初桜島における異常現象とされる翌年1914年大正3年1月9日には有村にあった川原尋常小学校校長は「有村温泉場の方でも九日の夜から地震何回感じた」と記録している。 爆発前日となる1月11日には有村海岸エビ多数死亡しているのが確認され振動により「列車レール上を通過するやうな」ものすごい音が聞こえてきたと記録されている。これらの現象から桜島爆発を心配した村長小学校長・巡査などは有村郵便局集合して電信により鹿児島測候所状況報告し状況問い合わせ行っていたが、測候所からは「桜島には異変なし」との回答があるのみであった爆発直前12日午前7時には有村にあった有村温泉では温泉沸騰する前兆見られた。 1914年大正3年1月12日桜島大規模な噴火起こし、その噴煙は高さ約1万メートル及んだ大正大噴火)。同時に有村海岸線では湯が沸きだして、温泉浴槽には泥水噴出した爆発時点有村住民は975名(128戸)、脇の住民450名(60戸)であった当時有村には東桜島村役場設置されていたほか、郵便局巡査駐在所尋常小学校設置されており、東桜島村中心地となっていた。 「桜島の大正大噴火」も参照村の住民らは爆発前日となる11日から避難開始しており、爆発時点では避難船不足のために30程度残存者があったが、先に対岸垂水村海潟現在の垂水市海潟)に避難していた脇の青年らの救助船によって救助された。有村役場所在地であり知識階層呼ばれる層が多く住んでいたことから、「桜島には異変なし」という鹿児島測候所判断信用し避難最後まで踏みとどまっていた。11日夕方避難始まり爆発時点での残存者対岸大隅半島にある垂水村海潟青年会漁船によって救助されたほか、大日本帝国陸軍御用船である大阪商船大信丸によって救出された。12日午後1時から午後2時の間には高温火砕物による火災発生し有村温泉や脇集落は火に包まれ全焼した有村にあった東桜島村役場では緊急脱出用の舟を失っており、村長らは村役場置かれ公金帆柱浮かべて脇の海岸から垂水向けて泳いで避難しようとしたが、収入役途中で溺死し村長らは瀬戸漁船によって救助された。駐在所勤務していた巡査郵便局長尋常小学校校長最後まで島にとどまり残留者の救護あたった桜島北東にある鍋山から流れ出した溶岩有村や脇の集落埋め尽くし同年5月21日には溶岩有村海岸到達した。これにより有村及び脇は溶岩埋没して全滅した有村では1名が死亡し、脇では4名が死亡した被害受けた有村温泉大正溶岩流の先端部で2次爆発発生している様子1914年8月撮影鹿児島県発刊した桜島大正噴火誌」ではこの噴火によって被害受けた有村について以下のように記している。 .mw-parser-output .templatequote{overflow:hidden;margin:1em 0;padding:0 40px}.mw-parser-output .templatequote .templatequotecite{line-height:1.5em;text-align:left;padding-left:1.6em;margin-top:0}午後三時頃より時の進むに従ひ噴火爆発の度は次第強烈となり温泉有名なりし有村風景絶佳にて俗謡に、『瀬戸ちょいと出て有村見れば有村お假屋景色のよさ』と歌ひし有村大正三年一月十二日を限り溶岩下に埋没され桑田空しく荒廃帰したりとは天の悪戯も亦甚し云うべし —桜島大正噴火溶岩埋没した有村集落川原尋常小学校再開することなく廃校となったまた、東桜島村役場有村集落と共に埋没したことにより、同年司法省告示第15号(「 鹿兒島縣鹿兒島郡東櫻島村戸籍役場火災ノタメ身分登記簿燒失ニ付キ更ニ屆出書類送付方」)、同省告示第16号(「 鹿兒島縣鹿兒島郡東櫻島村役場火災ノタメ出入寄留簿燒失ニ付キ出入寄留更ニ屆出方」)によれば村役場保管されていた身分登記簿戸籍簿出入寄留簿などの書類焼失したその後村役場湯之集落現在の東桜島町)に移転したまた、有村郵便局翌年1915年大正4年8月15日付で廃止された。集落と共に墓地埋没したため、集落跡を見渡す高台にある墓地内に「有村一同祖先歴代之総塔」が1916年大正5年)に建立された。 避難した有村及び脇の住民のうち移住希望者は国有地無償提供が行われた種子島肝属郡佐多村現在の南大隅町)の大中尾、花岡村現在の鹿屋市)の花里などにそれぞれ移住し東桜島村資料によれば上記国有地官有指定地)への移住者その他の移住地(任意移住地)への移住者とを併せて最終的に202戸(脇集落124戸、有村集落78戸)が他の地域移住した移住先のうち官有指定地への移住戸数の一覧は以下のとおりである。 官有指定地への移住戸数移住先脇集落有村集落熊毛郡北種子村0 7 肝属郡田代町42 0 肝属郡花岡村17 51 肝属郡佐多村2 0

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