大正大噴火による埋没・積灰とは? わかりやすく解説

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大正大噴火による埋没・積灰

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/03 02:50 UTC 版)

黒神町」の記事における「大正大噴火による埋没・積灰」の解説

1914年大正3年1月12日桜島爆発し噴煙は高さ約1万メートル及んだ大正大噴火)。爆発時点黒神住民は1,855名、瀬戸住民は1,722名であった。 「桜島の大正大噴火」も参照 噴火予兆として黒神では1月3日井戸水増加し9日には溢れ出ていることが確認されており、爆発3日前となる同月9日ごろから地震発生するなど予兆があったことから前日11日までに800人が桜島から離れていた。爆発当日早朝には1,500名程が避難準備済ませて海岸から対岸大隅半島にある牛根現在の垂水市)への避難開始していた。また、瀬戸11日までに老人女性子供全員避難完了し爆発時点では全員避難完了していた。 12日午前8時から午前9時の間爆発発生した黒神では避難のため船へ乗船であったが、動転した船の船頭30人ほどを積み残し沖へ出港した。これにより溺死した者2名、残留不明者4名の犠牲があった。また、避難先の牛根では4名が行倒れとなった黒神駐在していた巡査である前田は「九時ごろからして、南の御岳から三ヶ所、又黒神からは、自分正面当るところに、元の噴火口から白煙少しづつ見えた。それと同時に南の御岳砂石崩壊したのが見えた。」と語っている。爆発後の午後11時には黒神方面家屋焼失したとされ、正午には瀬戸焼滅した。 翌日1月13日には、桜島から瀬戸海峡泳いで対岸大隅半島避難しようとした東桜島村助役溺死したまた、黒神集落には駐在していた巡査小学校長など20名程が取り残されており、黒神南東位置する垂水村大字海潟現在の垂水市海潟)の中俣から駆け付けた船によって救助された。同日には火砕流桜島東側流出したことによって、幅360メートル水深75メートルであった瀬戸海峡埋められ1月30日にはそれまで瀬戸海峡地峡となり大隅半島陸続きになった。これによって瀬戸集落は完全に埋没し全滅した黒神集落においても246戸のうち197戸が消失し軽石火山灰によって埋没するなど甚大な被害受けた

※この「大正大噴火による埋没・積灰」の解説は、「黒神町」の解説の一部です。
「大正大噴火による埋没・積灰」を含む「黒神町」の記事については、「黒神町」の概要を参照ください。

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