大正大噴火以降
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/25 08:44 UTC 版)
第二次世界大戦中には城山台地付近に大日本帝国陸軍が高射砲基地を置いたほか、大日本帝国海軍の魚雷基地が置かれ、袴腰一帯は日本軍の要塞と化した。第二次世界大戦終戦後の袴腰一帯は軍需物資の処分のため一時的にアメリカ軍の支配下に置かれた。 1944年(昭和19年)7月1日には鹿児島港と袴腰港(現在の桜島港)の間で現在の桜島フェリーの前身となる船舶による自動車航送が開始され、8月30日には船舶事業を行う西桜島村企業部が大字横山に庁舎を建設した。同年の12月10日には鉄道省営バス(のちの国鉄バス)の垂水・袴腰線が営業を開始した。また、村営船によって交通量が増加したことにより垂水から袴腰までの鉄道路線の誘致活動が行われたが頓挫した。 1951年(昭和26年)10月1日には鹿児島地方気象台の観測所が置かれ、桜島における地動観測が行われるようになり、1955年(昭和30年)5月には京都大学桜島地震観測所(現在の京都大学防災研究所附属火山活動研究センター桜島火山観測所)が設置された。1973年(昭和48年)5月1日には西桜島村が町制施行し桜島町となった。 2004年(平成16年)11月1日に桜島町が鹿児島郡吉田町、日置郡松元町、郡山町、揖宿郡喜入町と共に鹿児島市に編入された。合併に際して設置された法定合併協議会である鹿児島地区合併協議会における協議によって、桜島町の区域の大字については「字の区域を廃止し、当該廃止された字の区域に相当する区域により新たに町の区域を設定し、その名称については表示案に基づき、各町の意向を尊重し合併までに調整するものとする」と協定された。 前述の協定に基づいて、合併前の10月26日に鹿児島県の告示である「 町の区域の設定及び字の廃止」が鹿児島県公報に掲載された。この告示の規定に基づき、それまでの大字横山は廃止され、大字横山の全域を以て新たに鹿児島市の町「桜島横山町」が設置された。
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