大正大噴火後の復旧と移住
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/03 02:50 UTC 版)
大隅半島へ避難した黒神・瀬戸地区の住民のうち移住希望者は、国有地の無償譲与が行われた種子島、肝属郡佐多村(現在の南大隅町)の大中尾、同郡田代村(現在の錦江町)の内之牧・中尾・久木野、花岡村(現在の鹿屋市)の花里などにそれぞれ移住し、東桜島村の資料によれば上記の国有地(官有指定地)への移住者とその他の移住地(任意移住地)への移住者とを併せて最終的には583戸(瀬戸集落:307戸、黒神集落:276戸)が他の地域へ移住した。移住先のうち官有指定地への移住戸数の一覧は以下のとおりである。 官有指定地への移住戸数移住先黒神集落瀬戸集落熊毛郡北種子村18 26 肝属郡田代村0 22 肝属郡新城村3 6 肝属郡佐多村52 170 肝属郡大根占村71 0 同年2月14日には帰還通達が出され、徐々に帰還が始まった。5月1日には90センチメートルもの降灰が降り積もり休止していた小学校が再開した。 第二次世界大戦後になり、大正大噴火で埋没した黒神集落にある腹五社神社の鳥居を住民が掘り起こそうとしたが、東桜島村長が「災害の記憶として後世に残すべきである」としたことにより、集落の民家にあった門柱と共にそのままの状態で保存されており、これらは「噴火により埋没した鳥居,門柱」として1958年(昭和33年)4月28日に鹿児島県の天然記念物に指定された。
※この「大正大噴火後の復旧と移住」の解説は、「黒神町」の解説の一部です。
「大正大噴火後の復旧と移住」を含む「黒神町」の記事については、「黒神町」の概要を参照ください。
- 大正大噴火後の復旧と移住のページへのリンク