大正大噴火による埋没とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > ウィキペディア小見出し辞書 > 大正大噴火による埋没の意味・解説 

大正大噴火による埋没

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/25 08:44 UTC 版)

桜島横山町」の記事における「大正大噴火による埋没」の解説

1913年大正2年)の夏ごろには桜島噴火前兆ともみられる井戸涸れ始め現象がみられていたほか、翌年1月11日になると「十一日午二時頃より地震感じ午前九時頃より山頂岩石崩落の音盛にして,午後四時前後よりは,屋内に居ること能はず」と横山住民述べており、横山東方にあたる山上の岩が絶え崩れ落ちてその音が大きく響き渡っていた。島民不安に感じて横山郵便局から鹿児島測候所判定依頼したものの、「桜島には異常はない」という回答が返ってくるのみであった1914年大正3年1月12日桜島爆発発生し噴煙は高さ約1万メートル及んだ大正大噴火)。爆発当時横山人口は2,739人、戸数415であった当時横山には西桜島村役場郵便局巡査駐在所尋常高等小学校置かれていた。 「桜島の大正大噴火」も参照 爆発発生直後12日午前8時に横山巡査派出所から救助船派遣要請が行われ、桜島対岸にあたる鹿児島市鹿児島警察署鹿児島湾内に停泊していた船舶徴発して救護船として横山小池などの集落救助向かい鹿児島警察署蒸気船「鶴丸」袴腰現在の桜島港付近)に着岸し横山小池赤水などの住民収容した横山住民全員鹿児島市避難した1月13日には横山山手側に赤い噴火口一列並んだのが確認され夕方には横山方面溶岩流流出確認された。1月15日には横山方面流れた溶岩流烏島付近海中突入し1月17日烏島一帯溶岩埋没し桜島接続した西桜島村最大集落であった横山溶岩流埋め尽くされ、字域内にあった420戸、畑地122町歩埋没した1889年明治22年)の施行時より横山置かれていた西桜島村役場溶岩埋没したことにより、対岸鹿児島市にある鹿児島郡役所臨時村役場設置したその後大字西道現在の桜島西道町)の民家仮役場が設置されその後大字藤野現在の桜島藤野町)に新庁舎建設し移転した役場埋没したことにより、同年司法省告示鹿兒島縣鹿兒島郡西櫻島村戸籍役場備付明治三十一年乃至四十四年及大正三年分身登記簿燒失によれば1898年明治31年)から1911年明治44年)及び1914年大正3年)の身分登記簿焼失した小学校現在の鹿児島市立桜洲小学校)も埋没したことにより1915年大正4年)に大字小池現在の桜島小池町)へ移転したまた、横山郵便局翌年1915年大正4年8月15日付で廃止された。 住民一部桜島から移住し種子島北種子村中割現在の西之表市)に数戸が移住したほか、当時日本支配下外地にあった朝鮮半島全羅北道現在の大韓民国)に11名が移住希望した

※この「大正大噴火による埋没」の解説は、「桜島横山町」の解説の一部です。
「大正大噴火による埋没」を含む「桜島横山町」の記事については、「桜島横山町」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「大正大噴火による埋没」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「大正大噴火による埋没」の関連用語

大正大噴火による埋没のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



大正大噴火による埋没のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの桜島横山町 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS