大正初期〜中期(図書館開設)
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「市立小樽図書館」の記事における「大正初期〜中期(図書館開設)」の解説
1915年(大正4年)、大正天皇の即位記念行事として、小樽区会から図書館設置の許可が下りた。翌1916年(大正5年)には東京市の東京市立日比谷図書館(後の東京都の日比谷図書文化館)から司書として招かれた田添三喜太が、図書の選定と整理にあたった。各地の図書館規則調査が行われ、渡辺兵四郎も自ら約3週間、東京や大阪などを旅行し、各地の図書館の調査にあたった。 1916年8月1日、区立小樽図書館が開設された。資金難のために独立した建物の建設は見送られ、当時の小樽区役所の一室を図書館と定めたのみであった。翌1917年(大正6年)、貸出が開始された。 開設当初は、本が大変貴重だったことから、利用者が区内の学校長、官公庁、会社、銀行などの要職にある人物の紹介、保証のある人物に限定されていたり、借用には本の値段と同額程度の保証金が必要だったりと、利用条件は非常に厳しかった。この現状に対し、1925年(大正14年)1月27日付の小樽新聞の投書では、市民共有であるべき図書館が一部の優遇された人々しか利用できないことが痛烈に批判されている。 1920年(大正9年)、図書館内に閲覧室が設置され、館内閲覧が開始された。1922年(大正11年)の市制施行に伴い、名称は「市立小樽図書館」と改称された。この年、市庁舎の増築工事が進められたため、図書館の蔵書を稲穂尋常高等小学校(後の小樽市立稲穂小学校)の一室に移転し、運営が続けられた。
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