大正八年後半の伝道旅行
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/30 21:57 UTC 版)
1919年(大正8年)7月、再臨運動が収束すると、千葉県佐倉市や大阪に行った後、8月に妻あやめを同伴して北海道旅行を試みた。仙台教会(日本基督教団仙台青葉荘教会)で説教した後、あやめの故郷の遠田郡沼部村小塩村(現、宮城県大崎市)で、あやめの父と一緒に、前年死去したあやめ母の遺骨の埋葬と石碑を建てた。 その後に小樽、室蘭、弘前、小坂に行った。また、9月には岐阜県飛騨高山の公会堂で説教をして、北陸を通り帰京した。10月には、姫路の山陽集会で、トーレーと一緒に講演をした。息子の中田羽後はトーレーと一緒に渡米してロサンゼルスで学ぶことになった。トーレー帰国後は中田が説教をした。その後、京都と呉に行き、11月には唐津、赤穂、神戸、熊内の教会を巡回した。 その後、関西に向かい12月1日に青木澄十郎の司会で神戸イエス・キリスト教会(現、日本基督教団主恩教会)で説教した。その後、福岡の九州学院で講演し、長崎では米田豊に再会して、東山学院や日本基督教会で説教をした。その後、奈良、岡山、丸亀、伊勢、津に寄って帰京した。
※この「大正八年後半の伝道旅行」の解説は、「中田重治」の解説の一部です。
「大正八年後半の伝道旅行」を含む「中田重治」の記事については、「中田重治」の概要を参照ください。
- 大正八年後半の伝道旅行のページへのリンク