大正以前
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/08 14:27 UTC 版)
最初の橋は、豊臣秀吉が大坂城を築城し、東横堀川を開削したときまで遡る。年代は特定されていないが、天正13年(1585年)に東横堀川が開削されてからあまり経っていなかったと考えられている。 大坂の陣(特に冬の陣)の時は、戦略上の重要地点であったとされ、橋周辺で蜂須賀隊と塙直之が激突している。 江戸時代になると、公儀橋として幕府による直接管理・維持がなされた。東詰に油問屋が集まり、西詰に木綿問屋・呉服・古着屋が軒を連ね、大坂で最も賑わう地域とされた。享保9年(1724年)の「妙知焼け」と呼ばれる大火で本町橋をはじめ、いくつもの橋が焼失している。大火後、橋の北東側に西町奉行所が移転してきた。 江戸時代のころの東横堀川の幅は現在よりも広く、本町橋も橋長が47.8mあったという。幅員は最初7.8mで、江戸時代後期には5.9mと幾分狭くなった。 明治維新後、年代は特定されていないが、明治14年(1881年)までに鉄柱を持つ木橋に架け替えられた。当時は鉄橋はおろか、鉄柱木橋も貴重な存在であった。
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