売買あるいは交換手段としての代用貨幣
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「代用貨幣」の記事における「売買あるいは交換手段としての代用貨幣」の解説
ダコタ地域の黄銅製代用貨幣 アメリカ合衆国陸空軍の代用貨幣 シャム 商人が発行した陶貨 広島県府中市上下町 地域活性化のための共通商品券「上下小判」 カンザスのアルミニウム製代用貨幣 17世紀から19世紀初頭にかけて、ブリテン諸島や北アメリカで政府発行硬貨の不足が深刻な際には、商業活動を続けるために代用貨幣が商人によって発行されることが多かった。代用貨幣は商品と交換可能なことを事実上保証していたが、必ずしも換金可能なことを保証してはいなかった。これらの代用貨幣が政府の正式な認可を受けることは決してなかったが、きわめて広く受け入れられ、流通した。 イギリスでは、1/4ペニー銅貨が17世紀前半に国王の認可によって製造、発行されたが、イングランド内戦の間は製造が中断され、その結果、小銭の著しい欠乏が生じた。 町や都市における取引の急速な増加のため不足感は一層強く現れた。そのため地方公共団体と商人が共にトークンを発行するようになった。 これらの代用貨幣は多くが銅あるいは真鍮製であったが、白鑞、鉛、ときに皮革製のトークンも見出される。 多くは一定の額面が刻まれず1/4ペニー銅貨としての通用が前提であったが、1/2ペニーも多く見られ、1ペニートークンも多少見られた。 1/2ペニーと1ペニートークンは、全てというわけではないが通常、表面に額面が打印されている。このような代用貨幣の多くは表面に発行人のフルネームまたはイニシャルが刻まれている。イニシャルの場合、苗字の1文字と夫婦の名の2文字の計3文字を刻むのが一般的な習慣であった。 また通常、代用貨幣の表面には名前または図により商売に関する事項が刻まれる。 代用貨幣の多くは円形であるが、ときに正方形、ハート型または八角形の形状のものが存在する。1648年から1672年の間にこれらの代用貨幣を発行した町や商人は数千にも上った。この間に政府による1/4ペニー銅貨の発行が再開され、個人的なトークンの発行は禁止された。 またこのような硬貨の不足は18世紀後半にイギリスの王立造幣局が硬貨の製造をほとんど中止したときにも起こった。 商人はトークンの発行を再開したが、それは機械製であり、17世紀に発行された1/2ペニーあるいはそれ以上の額面のものよりも一般的に大きな額面のものであった。 多くが取引用のものであったが、中には広告および政治的目的もあり、また収集家への販売を第一目的として発行されたものもあった。 これらのトークンは後に「コンダー」トークンとしてよく知られている。これらは商人により自らの店舗における同等の価格の商品により償還されるとの契約のもとで、商品代金の支払いのため発行された。 その取引は代用硬貨の利便性の役割を果たす一種の物々交換であり、売り手の都合の良い価格および時刻において商品を受け取ることができ、代用貨幣を店のコインホルダーに留めておくことができる。 1861年、アメリカ合衆国において勃発した南北戦争により、原料の不足から政府が硬貨の発行数を減じ、加えて経済混乱により硬貨が払底した。このとき釣銭の支払いに困惑した会社および商店はボール紙に額面を印刷したもの、私製の銅貨さらに郵便切手を円形の金属ケースに封入した切手代用貨幣を発行した。このケース入り切手代用貨幣の発明に関してジョン・ゴールドは1862年8月12日に特許をとった。 アメリカ合衆国財務省は金属硬貨は重量があり輸送能力の面で問題が多いことから、在外の軍隊に対し硬貨を出荷しなかったため、アメリカ軍の陸空軍生活品販売業務(英語版)は、紙製の5セント、10セント、および25セントの額面の代用貨幣「ポグ(英語版)」(めんこを意味する)を発行することにした。この代用貨幣は直径約38mmであり、デザインが軍事色の強いものとなっているという特徴がある。旧日本軍においても軍事基地のみで通用する「酒保銭」と呼ばれる代用貨幣が用いられた。 売買用代用貨幣の収集は、メダル収集の分野の一つであり、他にトランジットトークン、ケース入りのセント硬貨、および多くの他の分野も含まれる。 狭義の取引用代用貨幣は商人によって発行された、「良い」代用貨幣である。 一般に代用貨幣の表面には、しばしば「5セント」などの額面、商人名、イニシャル、町、州が刻まれている。代用貨幣を発行した商人は雑貨屋、食料品商、百貨店、酪農、精肉市場、ドラッグストア、酒場、バー、居酒屋、床屋、炭坑、製材所、および他の多くの業者がいた。1870年から1920年の期間はアメリカ合衆国において取引用代用貨幣が最も多く使用された時期であり、農村地域における零細店舗の増加がこれに拍車をかけた。何千もの零細の雑貨屋および商店が合衆国全体に亘って存在し、彼らの多くが取引を促進し、顧客に信用を広めるために取引用代用貨幣を使用した。 アルミニウム製の代用貨幣は、アルミニウムが安く生産されるようになった1890年以降の年銘のものがほとんどである。
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