壱岐市立那賀中学校とは? わかりやすく解説

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壱岐市立那賀中学校

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/07/18 23:05 UTC 版)

壱岐市立那賀中学校(いきしりつなかちゅうがっこう, Iki City Naka Junior High School)は、2011年(平成23年)3月末まで長崎県壱岐市芦辺町にあった公立中学校。略称は「那賀中」(なかちゅう)であった。


  1. ^ 現在の壱岐市国分本村触にあったと言われている。
  2. ^ 壱岐国分寺跡(PDF)-長崎県ウェブサイト
  3. ^ a b c 741年天平13年)、聖武天皇によって国分寺建立のが発せられた当時、壱岐では度重なる天災伝染病飢饉などで大きな損害を受けていたため、新寺建立を断念し、壱岐を治めていた壱岐氏の氏寺を壱岐嶋分寺(国分寺)に提供したと言われている。(「延喜式」巻二一玄蕃(げんば)寮条)また1019年寛仁3年)の刀伊の入寇での壱岐への女真族の襲来が、この国分寺が消滅した原因だと言われている。1738年元文3年に国分寺の寺号を残すために、移転の上、阿弥陀寺を国分寺に改称し、現在に至る(現在の国分寺の所在地は芦辺町中野郷西触725)。
  4. ^ 「壱岐の風土と歴史」-中上史行・著
  5. ^ まつさかなおみ。男性。1910年(明治43年)に田河校区の深江鶴亀(つるき)触で誕生。田河尋常高等小学校を卒業後、旧制・長崎県立壱岐中学校に進学する。壱岐中学校卒業後に上京し、作詞活動を開始。1922年(昭和7年)に「山のあけくれ」・「時雨する頃」(作曲は古関裕而)のレコードでデビュー。日本詩人連盟会長、日本訳詩家協会理事長、日本音楽著作家組合副委員長、日本音楽著作権協会評議員、東京雪州会(壱岐人会)会長等を歴任。1991年(平成3年)には勲三等に叙せられた。2002年(平成14年)に逝去。壱岐市立田河小学校壱岐市立芦辺小学校壱岐市立三島小学校壱岐市立沼津小学校、旧壱岐市立田河中学校等の校歌の作詞も行っている。
  6. ^ 旧中学校校歌ダウンロード-壱岐市ウェブサイト
  7. ^ a b c d e 壱岐市広報誌「広報いき」2010年(平成22年)6月号
  8. ^ 読みは「じんかい」。意味は「ゴミ」。
  9. ^ 伝統行事への積極的な関わりの一環として参加していた。同じく那賀住吉地区にある住吉神社の大祭にも参加していた。壱岐神楽は有名である。
  10. ^ 読みは「りっしょう」。意味は「その位置を動かずに見ておくこと」。
  11. ^ 壱岐交通ウェブサイト
  12. ^ 新焼却施設建設のため、2008年(平成20年)6月末で閉鎖。
  13. ^ くにかたぬし


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