壱岐市立那賀中学校
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壱岐市立那賀中学校(いきしりつなかちゅうがっこう, Iki City Naka Junior High School)は、2011年(平成23年)3月末まで長崎県壱岐市芦辺町にあった公立中学校。略称は「那賀中」(なかちゅう)であった。
- ^ 現在の壱岐市国分本村触にあったと言われている。
- ^ 壱岐国分寺跡(PDF)-長崎県ウェブサイト
- ^ a b c 741年(天平13年)、聖武天皇によって国分寺建立の詔が発せられた当時、壱岐では度重なる天災、伝染病、飢饉などで大きな損害を受けていたため、新寺建立を断念し、壱岐を治めていた壱岐氏の氏寺を壱岐嶋分寺(国分寺)に提供したと言われている。(「延喜式」巻二一玄蕃(げんば)寮条)また1019年(寛仁3年)の刀伊の入寇での壱岐への女真族の襲来が、この国分寺が消滅した原因だと言われている。1738年(元文3年に国分寺の寺号を残すために、移転の上、阿弥陀寺を国分寺に改称し、現在に至る(現在の国分寺の所在地は芦辺町中野郷西触725)。
- ^ 「壱岐の風土と歴史」-中上史行・著
- ^ まつさかなおみ。男性。1910年(明治43年)に田河校区の深江鶴亀(つるき)触で誕生。田河尋常高等小学校を卒業後、旧制・長崎県立壱岐中学校に進学する。壱岐中学校卒業後に上京し、作詞活動を開始。1922年(昭和7年)に「山のあけくれ」・「時雨する頃」(作曲は古関裕而)のレコードでデビュー。日本詩人連盟会長、日本訳詩家協会理事長、日本音楽著作家組合副委員長、日本音楽著作権協会評議員、東京雪州会(壱岐人会)会長等を歴任。1991年(平成3年)には勲三等に叙せられた。2002年(平成14年)に逝去。壱岐市立田河小学校、壱岐市立芦辺小学校、壱岐市立三島小学校、壱岐市立沼津小学校、旧壱岐市立田河中学校等の校歌の作詞も行っている。
- ^ 旧中学校校歌ダウンロード-壱岐市ウェブサイト
- ^ a b c d e 壱岐市広報誌「広報いき」2010年(平成22年)6月号
- ^ 読みは「じんかい」。意味は「ゴミ」。
- ^ 伝統行事への積極的な関わりの一環として参加していた。同じく那賀住吉地区にある住吉神社の大祭にも参加していた。壱岐神楽は有名である。
- ^ 読みは「りっしょう」。意味は「その位置を動かずに見ておくこと」。
- ^ 壱岐交通ウェブサイト
- ^ 新焼却施設建設のため、2008年(平成20年)6月末で閉鎖。
- ^ くにかたぬし
- 1 壱岐市立那賀中学校とは
- 2 壱岐市立那賀中学校の概要
- 3 学校行事
- 4 周辺
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