壱岐市立那賀小学校とは? わかりやすく解説

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壱岐市立那賀小学校

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/24 05:06 UTC 版)

壱岐市立那賀小学校(いきしりつ なかしょうがっこう, Iki City Naka Elementary School)は長崎県壱岐市芦辺町中野郷西触にある公立小学校。略称は「那賀小」(なかしょう)。


  1. ^ a b 読みは「ちゅうのお」。
  2. ^ 2011年(平成23年)4月に芦辺地区の壱岐市立田河中学校壱岐市立那賀中学校壱岐市立箱崎中学校の中学校3校が規模適正化のため統合され、壱岐市立芦辺中学校が開校した。芦辺中学校は旧田河中学校の校舎を利用している。このため、統合前は小学校の近くに那賀中学校があったが、スクールバスを利用して芦辺中学校に通うこととなった。
  3. ^ 「国分」の別表記。
  4. ^ 国府高等小学校は1893年(明治26年)3月の第十七高等小学校(現長崎県立壱岐高等学校の場所)の閉校に伴い、同年9月に那賀村・田河村・箱崎村・鯨伏村(いさふし)組合立の高等小学校として開校した。この時壱岐島に開校した高等小学校には、国府以外に武生水高等小学校(むしょうず、現・壱岐市郷ノ浦町)、香椎高等小学校(現・壱岐市勝本町)があった。1907年(明治40年)3月に小学校義務教育の年数が4年から6年に延長、尋常小学校に高等科が併置され、尋常高等小学校となったことにより、国府高等小学校は廃止された。なお国府高等小学校は、現・壱岐家畜保健衛生所(壱岐振興局農林水産部衛生課、住所は芦辺町国分本村触1385-1)にあった。衛生所敷地内には、1928年(昭和3年)11月10日に同窓会によって建立された記念碑が現在でも残っている。
  5. ^ 田河町と那賀村が合併し、芦辺町となる。翌1956年(昭和31年)9月30日に箱崎村も編入。
  6. ^ 壱岐交通ウェブサイト
  7. ^ 新焼却施設建設のため、2008年(平成20年)6月末で閉鎖。
  8. ^ くにかたぬし
  9. ^ a b 741年天平13年)、聖武天皇によって国分寺建立のが発せられた当時、壱岐では度重なる天災伝染病飢饉などで大きな損害を受けていたため、新寺建立を断念し、壱岐を治めていた壱岐氏の氏寺を壱岐嶋分寺(国分寺)に提供したと言われている。(「延喜式」巻二一玄蕃(げんば)寮条)また1019年寛仁3年)の刀伊の入寇による壱岐への女真族の襲来が、この国分寺が消滅した原因だと言われている。1738年元文3年)に国分寺の寺号を残すために、移転の上、阿弥陀寺を国分寺に改称し、現在に至る(現在の国分寺の所在地は壱岐市芦辺町中野郷西触725)。


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