回心・逮捕・司法取引
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「チャールズ・コルソン」の記事における「回心・逮捕・司法取引」の解説
逮捕を控えていた時、ビリー・グラハムの伝道集会で回心した友人で軍需生産大手のレイセオン社会長トマス・フィリップス (Thomas L. Phillips) から贈られたC・S・ルイスの『キリスト教の精髄』Mere Christianity を読み、これをきっかけに福音派のキリスト教徒となった。 コルソンの回想によれば、フィリップスはコルソンにイエス・キリストを受け入れた証しをし、コルソンのために祈った。その時「何かが私の中に流れ込んできた」のを感じたが、まだキリストを受け入れなかった。法曹であったコルソンはルイスが説く道徳律の普遍性・一貫性に神の存在を感得し、カトリックの妻と初めて神について話し合った。コルソンはルイスの本の中心課題「イエス・キリストは神である」(ヨハネによる福音書10:10)に圧倒され、一週間後の1973年8月12日メイン州の海辺で「主イエス様、あなたを信じます。あなたを受け入れます。どうか私の生涯にお入り下さい」という回心の祈りをして、キリスト者となった。コルソンはこの経験を回心の契機を与えたフィリップスに書き送り、その後政敵であったハロルド・ヒューズや軍備管理・国際安全保障担当国務次官のカーチス・タール (Curtis W. Tarr)らと、「キリストにある兄弟」として親交を深めていった。 コルソンはこの年の12月、ホワイトハウスで定期的に持たれていた朝の祈祷会でヒューズに「コルソンを最も憎んでいた」と告白され、共に祈ったことを印象深いこととして記している。また、その日のホワイトハウスの記者会見で初めてコルソンがホワイトハウスで祈りを捧げていることが明かされ、報道関係者の驚きを呼んだ。このときダン・ラザーは、既に職を辞したコルソンが政権中枢でその種の行為を行うことの問題を指摘したが、報道官ジェリー・ウォレン (Jerry Warren) は問題視していないとの見解を示している。これをきっかけに、メディアはコルソンの回心を大きく報じるようになり、『ニューズウィーク』誌、『タイム』誌や『ヴィレッジ・ヴォイス』をはじめとした各紙はこれを額面通りには受けとらず、コルソンが逮捕を前に罪状を軽減するために打った策であると批判している。一方、コルソンの回想録によれば、UPI通信社が配信した記事を含め回心について好意的な報道をした記者も数名であるが存在していた。 「 我々の中でも娑婆気の多さを自認している連中、例えばピート・ハミルやヴィレッジ・ヴォイス紙の記者などは(コルソンの回心を)大それたジョークとして扱かった。あたかもW・C・フィールズ[訳注:W. C. Fields、酒に溺れた厭世的な人物像で一世を風靡したコメディアン]が禁酒運動に加わったかの如くにである。彼らは目下第二幕を待っている。つまり事件が解決し、W・C・フィールズが再び乾杯し、コルソンが祖母の墓の上で柔軟体操を始めるのを待っているのである。 」 —William Buckley, Washington Star, June 28, 1974 弁護団の助言により、逮捕後のコルソンは初期から憲法修正第5条(黙秘権)に依拠して審問に対処していたが、真実に従順でありたいという希望と、無実と信ずる罪状での有罪判決を回避したいという望みの間で苦しむこととなった。そして祈りや相談の結果、コルソンは弁護団に対し、自らの容疑は認めないものの異なる罪状で有罪を認めるという提案を行なった。この際、ウォーターゲート事件特別検察官レオン・ジャウォルスキー (Leon Jaworski) は、コルソンに対し同事件関連の軽罪について有罪を認めれば収監を免れるよう働きかけるとの取引を提案したが、コルソン自身はこれに応じず逆にジャウォルスキーに取引を提案した。これはウォーターゲート事件に直接関与した嫌疑ではなく、ペンタゴン・ペーパーズ漏洩事件の被告ダニエル・エルズバーグ (Daniel Ellsberg) の名誉毀損工作を試みた件について司法妨害での有罪を認めるというもので、さらに収監の回避は絶対条件ではないとした。ジャウォルスキーおよび判事ゲルハルト・ゲゼル (Gerhard Gesell ) との交渉の後、コルソンはエルズバーグの人物像を貶めて陪審の心証に影響を与えようとしたとする司法妨害について、有罪を認めた。ゲゼルはこれを受け、連邦法が許す最長期間の収監を判決とした。 ジャーナリストのカール・ローワン (Carl Rowan) はこの年の6月10日のコラムにおいて、この出来事は「判事がコルソンに対する罪状を退けることを発言していた折」のことであり、コルソンはニクソンに甚だしく不利な情報を暴露しようとしていたのではないかと憶測している。この推理については、コラムニストのクラーク・モレンホフ (Clark R. Mollenhoff) も同様の見方をしており、モレンホフはコルソンが結果的に「重大な証人」となることを回避したことは、その回心の真正性に疑いを招くものであるとも指摘している。1974年6月21日、コルソンは1年から3年の不定期刑および科料 5,000 ドルを課され、これを受けてワシントンの法曹界から除名、ヴァージニア州およびマサチューセッツ州でも法曹資格が剥奪されるものと期待された。。
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