漏洩事件
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/16 13:52 UTC 版)
「昭和天皇・マッカーサー会見」の記事における「漏洩事件」の解説
奥村は通訳を終えた後、情報部長としての記者会見の場で、オフレコで会見の一部を記者に伝えた。この後、この内容が国際通信社(INS)電として、米国から報じられた。 そして翌5月7日のAP通信が、マッカーサーが「日本の防衛を引き受ける」と天皇に保証したと報じたことが大問題となり、翌8日にはマッカーサー側が否定の声明を発表するに至った。奥村は情報漏洩の責を問われ、懲戒免官処分となった(後に解除され、外務省に復帰)。 1975年(昭和50年)9月になって、瀕死となった奥寺は天皇の「思召」を気にしたため、入江相政侍従長が昭和天皇に拝謁して確認した所、天皇から「奥村には全然罪はない、白洲がすべてわるい」と発言があった。白洲次郎は、第4回会見当時終戦連絡事務局次長だった。 豊下楢彦は、天皇の「白洲がすべてわるい」発言を踏まえた調査の結果、奥村が実行したのは「天皇の意を体した行動」ではないかとの推測を述べている。
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