商業用途
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/21 23:14 UTC 版)
氷貿易は食品の保存と輸送の手段に革命を起こした。19世紀以前は、食品の保存技術といえば塩漬けか燻製しか存在しないも同然だったが、天然氷が大量に供給可能になったことで、食料は新たに冷蔵や冷凍で保存することができるようになった。食料を氷で冷やすというのは比較的シンプルな仕組みだが、容器や輸送システムがいろいろあるなかで冷気や暖気の流れを効率的かつ安定的にコントロールする方法を確立するためには大量の実験が必要であった。氷貿易の初期段階では、空気の流れを抑えて貴重な氷を節約しなければいけない中で、食料も良好な状態で保存しなければいけないという葛藤があった。そのため重要なのは、温度を下げるため氷の上でいかに空気を循環させるかであった。 初期には食料の保存といっても少量の農産物を近くの市場まで運ぶというだけの問題であって、伝統的な保冷器の延長によって対処されていた。メリーランド州出身の技師であったトーマス・ムーアは初期の冷蔵庫を発明し、1803年に特許を取得した。これは断熱性のある大きな木の箱で、上に氷を入れる錫製の容器が埋め込んであった。この冷蔵庫は主として単純な断熱効果に依存するもので、冷気の循環は行われなかったが、この構造は農民や小規模な商店に広く受け入れられ、違法な模造品が横行した。1830年代には、氷が豊かになったことを生かし、さらに効率よく食料を保存するために換気を利用した携帯可能な冷蔵箱が食肉の取引で使われ始めた。1840年代には、空気を循環させることの重要性について理解が高まり、氷の供給量が増えたこともあって、アメリカにおける冷凍環境は著しく向上した。 アメリカで鉄道網が発達してくるにつれ、天然氷は冷蔵車という発明品に積載されて、貨物をこれまでよりはるかに長距離で大量に輸送するために使われるようになった。最初の冷蔵車は1850年代から1860年代初期に登場した。はじめはかなり素朴なつくりで、3,000ポンド(1,360キログラム)の氷を積み、その上に食料を置くという構造だった。しかしすぐに肉を直接氷のブロックの上に置くと肉が傷みやすくなるということがわかり、その後はフックに肉を吊るす仕組みに変わった。こうすると肉には柔らかな風があたり、また揺れ動くことで車内に風が循環した。南北戦争の後で、J・B・サザーランド、ジョン・ベイト、ウィリアム・デイヴィスの3人はそれぞれ冷蔵車を改良して特許を取得した。車両の両端に氷を積み上げ、空気の循環を高めることで内部を低温に保つというものであった。空気の循環の改善こそが、車内に暖かな空気が滞留するのをふせぎ、積荷が傷むことを防ぐために大事なことだった。氷を利用する冷蔵車では冷却効果を高めるために、氷に塩が加えられることもあった。19世紀のほとんどの期間で、線路の規格が異なる路線間で冷蔵の荷物を移すことは難しく、また時間がかかった。氷が常に溶け続けている状況でこれは問題であった。1860年代までに、調整可能な車軸〔adjustable axles〕をそなえた冷蔵車がつくられ、線路を乗り換える過程が高速化された。 傷みやすい食品を鉄道で輸送するために天然氷は欠かせないものになった。屠畜して下ごしらえした肉をそのまま輸送することは、輸送費の面ではるかに効率がよく、中西部における産業は新たな市場を開拓することができた。実業家のジョナサン・アーマーが語ったように、氷と冷蔵車は「フルーツとベリーの生産をギャンブルから国家的な産業に変えた」のだった。 冷蔵船も氷貿易の歴史の中で生まれた輸送手段で、傷みやすいものでも海を渡って外国に輸出することが可能になった。初めはアメリカから、次いでアルゼンチンやオーストラリアなどの国でも輸出に使われた。初期の冷蔵船は氷を積荷にするついでに冷蔵食品を積むものだった。冷蔵肉を初めてイギリスに輸出した船は、鉄道における冷蔵車を翻案してジョン・ベイトが設計したもので、船倉の両端に氷を置き、換気扇を使って肉を低温に保った。ジェームズ・クレイヴンがさらにこれを改良し、氷と船倉の間にブライン液を流す配管をすることで、肉の温度を低く保ち、かつ船倉内の湿度を上げずに済む仕組みをつくった。アメリカ東部をさきがけに、天然氷は漁獲した魚を保存するために水産業でも活用された。1858年にはグリムズビーの漁船団が海に氷を持っていき、取った魚をその場で保存することで、それまで以上の長距離航海と漁獲高の向上を可能にした。イギリスにおいては水産業が氷の消費量では単独の1位にまでなった。 天然氷の用途は多彩であった。氷の貿易により、医療現場では病気の治療や症状の緩和に試されたり、熱帯の病院で快適性を高めるために氷を使うことが可能になった。例えばカルカッタでは、現地の病院で使用するため積荷として氷が到着するたびに町の貯氷庫にその一部が特別に取り置きされた。19世紀の半ばにはイギリスの王立海軍では輸入した氷を使って艦船に搭載した砲塔の内部を冷却していた。1864年には、試行錯誤の末に、イギリスからオーストラリアまでイクラを輸出することに成功した。これは天然氷を使い航行中にイクラを低温に保ったことがその成功の要因であり、これによってタスマニア島の水産業に新たな商品が誕生することになった。
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