古代・他界観
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日本での死生観を最初に記述したものとしては『古事記』・『日本書紀』等の神話が挙げられる。『日本書紀』には根の国、『古事記』には根之堅洲国という表記で表される葦原中国との境界にある黄泉比良坂という黄泉(死後の世界)に入り込む異次元の断層のあることが仮想され、イザナギが死んだ妻・イザナミの奪還を試みるがタブーを犯してしまい、目的を果たせず黄泉比良坂に障壁を立てて変わり果てたイザナミから逃げ帰る話がある。この障壁の岩・千引石は生者の居るこの世と死者の世に境界を引く訣別の意志の現れである。また「其の黄泉坂に所塞(さや)りし石は、道反之大神(ちかへしのおおかみ)と号(なづ)く。また黄泉戸に塞り坐す大神とも謂ふ(「亦所塞其黄泉坂之石者 號道反大神 亦謂塞坐黄泉戸大神」『古事記』)とあり結界石の神を配置したことが分かり、イザナギが「此よりな過ぎそ(来るな)」といい杖を投げ「岐神」となった(「因曰 自此莫過 即投其杖 是謂岐神也」『日本書紀第6の一書)あるいは禊ぎ祓いの際投げ棄てた杖が「衝立船戸神」になった(「禊祓也 故於投棄御杖所成神名 衝立船戸神」『古事記』)とも合わせていずれも境の神の性格を持っている。そのため土地の境に石を置き塞(さえ)の神を祀るようになる。女人結界や姥捨山の石もやはり他界との境界石であると柳田國男は言う。日本は山がちの地形で山岳信仰もあった為修験道の道場としても発達した。 また地下と同じく海上他界の信仰もあり、古い神道の祖形が残っているといわれる沖縄(琉球)ではニライカナイとして知られる。『出雲国風土記』出雲郡宇賀郷の条には海浜になつきの磯という岩があり、その西近くに窟戸(洞窟)があってそこに行く夢を見た者は必ず死す、故に黄泉の坂黄泉の穴と云う、という伝承(「自礒 西方 有窟戸 高廣 各六尺許 窟内 在穴 人 不得入 不知深浅也 夢 至此礒之邊者 必死 故 俗人 自古至今 號黄泉之穴也」)を記している。ここには浜の穴が海上他界へと繋がるという発想を見ることが出来ると、民俗学者の折口信夫は指摘している。常世の国として表される観念もあり、記紀には少彦名神が粟の茎にはじかれて、海の彼方の常世の国に渡って行ったという話や田道間守の時じくの香の木の実の話、『丹後国風土記』逸文などの浦島伝説にも出て来てこの世と比べ時間が長く流れるのが特徴となっている。ひとつ興味深い例が『日本書紀』皇極天皇紀にあり、常世の虫というのが現世に表れたので都鄙の人「富来たれり」と言い清座に置き歌い舞ったと記されている。常世を使う文脈の中には蓬莱山、神仙といった神仙思想に基づくと思われる言葉が多々表れることから仏教以前の道教など外来からの影響を指摘する声もあるが、後の隠れ里などに見るように民衆の間の理想郷として定着していった。 日本列島は国土の七割が山地が占められ、山岳信仰の発達する素地が整っていたが文献上で見る限り記紀などの神話には山中他界の描写はみられず、『竹取物語』富士山のくだりに神仙思想が窺われるくらいに留まる。本格的に山中他界が看取されるのは越中立山に関してで、『延喜式』には立山の神名が「雄山神」とあり噴火口周辺に地獄谷などがある一帯が聖地化していた節が窺える。長久元年(1040年)の『本朝法華験記』の一節を元にして『今昔物語集』にも地獄谷に死霊が集まるという話を記述している。後には(他界との象徴的な)境界石を立てた先の山中に山伏らが籠もる修験道が各地で発達してゆく。これらの霊山の近くには前出の地獄谷の他三途の川・賽の河原などといった『往生要集』の地獄変相図様の地名のあることが多く仏教の影響が大きいことが窺える。
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