南極大陸横断を夢見て〈エスキモーと共同生活・北極圏12,000km犬ぞり単独行〉とは? わかりやすく解説

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南極大陸横断を夢見て〈エスキモーと共同生活・北極圏12,000km犬ぞり単独行〉

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/17 02:15 UTC 版)

植村直己」の記事における「南極大陸横断を夢見て〈エスキモーと共同生活・北極圏12,000km犬ぞり単独行〉」の解説

この頃から、犬ぞり南極大陸単独横断することを夢見るようになり(併せて後年には、南極大陸最高峰ビンソン・マシフ標高5,140m)に単独登頂することも夢見るうになる)、南極関係の資料集め始めた1970年12月21日次に控えているエベレスト国際参加のためのトレーニングとして、小西政継らの山学同志会隊に加わり冬期グランド・ジョラス北壁挑戦した登攀中、ヨーロッパとしては20年ぶりの大寒波に襲われ、6人中4人の隊員凍傷にかかり手足の指を失うことになったが、植村高久幸雄の2人無傷で、翌1971年1月1日完登し、ウォーカー峰(標高4,208m)に到達した。 同1971年2月BBC主催しアメリカ人のノーマン・ディレンファース隊長率いエベレスト国際隊に伊藤礼と共に参加したネパール南壁を“征服”して植村にとって2度目となるエベレスト登頂目指すが、4月15日インド人のハッシュ・バフグナ隊員遭難死の後、各国からの代表を寄せ集めた国際隊は互い利害関係徐々に表面化、隊は“空中分解”した。なおも強硬に先頭登るイギリス人隊員2人のために、植村伊藤2人だけが酸素ボンベ無し標高8,230mの第6キャンプまで荷揚げしたが、5月21日標高8,300m地点登頂断念され、失敗終わった植村30歳。 同1971年3月最初著書である『青春を山に賭けて』を出版した。 同1971年南極横断距離3,000kmを体感するため、同距離となる北海道稚内市から九州・鹿児島までの日本列島縦断徒歩52日間実現した8月30日宗谷岬出発日本海側通り10月20日国鉄(現:九州旅客鉄道JR)・西鹿児島駅(現:鹿児島中央駅)に到着した。 同1971年12月30日アルゼンチンブエノスアイレスから同国南端ウシュアイア入った1972年1月5日砕氷船サンマルティン号」で同地出航し同年1月14日南極にある、アルゼンチンヘネラル・ベルグラーノ基地入り軍用ヘリコプター数十km内陸まで飛行するなどの偵察した1月18日、同基地離れた。その他、数か所のアルゼンチン南極基地立ち寄り2月2日ウシュアイア帰港下船した一方南極大陸横断のもう片方マクマード基地管轄しているアメリカ国立科学財団からは、「南極条約により個人的探検認められない」と拒否された。 同年2月アコンカグアの未登攀ルートであった南壁挑戦するが、落石多く断念した同年4月11日グリーンランドエスキモー集落犬ぞり操縦教わり、また極地気候身体順化させることを目的として、日本発った同年5月グリーンランド東海岸のアンマサリックを視察した同年9月11日グリーンランド最北シオラパルクで、エスキモー共同生活始めた植村31歳1973年2月4日犬ぞりグリーンランド3,000kmの単独行出発同年4月30日成功した同年6月26日シオラパルク去り同年7月帰国したこの頃東京都板橋区住居近くで、野崎公子出会った1974年3月6日長兄植村修、三兄・武夫と共に野崎家に結納行った同年3月8日明治大学山岳部OB炉辺会」のヒマラヤ遠征偵察隊隊長として、ネパールダウラギリV峰の偵察出発し5月12日帰国した同年5月18日33歳のときに、野崎公子結婚したこの頃グリーンランド一周犬ぞり旅行計画するが、目当てスポンサーから「探検価値として弱い」と言われ断念した同年11月22日日本発ち12月11日グリーンランドのヤコブスハウンに入った同年12月29日北極圏12,000kmの犬ぞり単独行目指しグリーンランド西部ケケッタを出発した1975年6月12日カナダのケンブリッジベイに到着、アンダーソンベイで越夏した。同年12月15日同地出発1976年5月8日ゴールであるアラスカのコツビューに到着した1年半長い旅であった植村35歳その後ベーリング海峡渡りシベリア北極海沿岸からヨーロッパまで犬ぞりで走るという北極海一周夢見るが、ソ連許可を得るのが困難であるため断念した1976年7月31日ロシアエルブルス標高5,642m)に登頂した

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