南極大陸横断を夢見て〈エスキモーと共同生活・北極圏12,000km犬ぞり単独行〉
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「植村直己」の記事における「南極大陸横断を夢見て〈エスキモーと共同生活・北極圏12,000km犬ぞり単独行〉」の解説
この頃から、犬ぞりで南極大陸を単独で横断することを夢見るようになり(併せて、後年には、南極大陸最高峰のビンソン・マシフ(標高5,140m)に単独登頂することも夢見るようになる)、南極関係の資料を集め始めた。 1970年12月21日、次に控えているエベレスト国際隊参加のためのトレーニングとして、小西政継らの山学同志会隊に加わり、冬期のグランド・ジョラス北壁に挑戦した。登攀中、ヨーロッパとしては20年ぶりの大寒波に襲われ、6人中4人の隊員は凍傷にかかり手足の指を失うことになったが、植村と高久幸雄の2人は無傷で、翌1971年1月1日、完登し、ウォーカー峰(標高4,208m)に到達した。 同1971年2月、BBCが主催し、アメリカ人のノーマン・ディレンファース隊長が率いるエベレスト国際隊に伊藤礼造と共に参加した。ネパール側南壁を“征服”して植村にとって2度目となるエベレスト登頂を目指すが、4月15日、インド人のハッシュ・バフグナ隊員の遭難死の後、各国からの代表を寄せ集めた国際隊は互いの利害関係が徐々に表面化、隊は“空中分解”した。なおも強硬に先頭を登るイギリス人の隊員2人のために、植村と伊藤の2人だけが酸素ボンベ無しで標高8,230mの第6キャンプまで荷揚げしたが、5月21日、標高8,300m地点で登頂は断念され、失敗に終わった。植村、30歳。 同1971年3月、最初の著書である『青春を山に賭けて』を出版した。 同1971年、南極横断距離3,000kmを体感するため、同距離となる北海道稚内市から九州・鹿児島までの日本列島縦断を徒歩52日間で実現した。8月30日、宗谷岬を出発、日本海側を通り、10月20日、国鉄(現:九州旅客鉄道|JR)・西鹿児島駅(現:鹿児島中央駅)に到着した。 同1971年12月30日、アルゼンチンのブエノスアイレスから同国の南端のウシュアイアに入った。1972年1月5日、砕氷船「サンマルティン号」で同地を出航し、同年1月14日、南極にある、アルゼンチンのヘネラル・ベルグラーノ基地に入り、軍用ヘリコプターで数十km内陸まで飛行するなどの偵察した。1月18日、同基地を離れた。その他、数か所のアルゼンチン南極基地に立ち寄り、2月2日、ウシュアイアに帰港、下船した。 一方、南極大陸横断のもう片方のマクマード基地を管轄しているアメリカ国立科学財団からは、「南極条約により個人的探検は認められない」と拒否された。 同年2月、アコンカグアの未登攀ルートであった南壁に挑戦するが、落石が多く、断念した。 同年4月11日、グリーンランドのエスキモー集落で犬ぞりの操縦を教わり、また極地の気候に身体を順化させることを目的として、日本を発った。 同年5月、グリーンランド東海岸のアンマサリックを視察した。 同年9月11日、グリーンランド最北の村シオラパルクで、エスキモーと共同生活を始めた。植村、31歳。 1973年2月4日、犬ぞりでグリーンランド3,000kmの単独行に出発、同年4月30日、成功した。 同年6月26日、シオラパルクを去り、同年7月、帰国した。 この頃、東京都板橋区の住居の近くで、野崎公子と出会った。 1974年3月6日、長兄・植村修、三兄・武夫と共に野崎家に結納に行った。 同年3月8日、明治大学山岳部OB「炉辺会」のヒマラヤ遠征偵察隊の隊長として、ネパールのダウラギリV峰の偵察に出発し、5月12日、帰国した。 同年5月18日、33歳のときに、野崎公子と結婚した。 この頃、グリーンランド一周犬ぞり旅行を計画するが、目当てのスポンサーから「探検価値として弱い」と言われ、断念した。 同年11月22日、日本を発ち、12月11日、グリーンランドのヤコブスハウンに入った。同年12月29日、北極圏12,000kmの犬ぞり単独行を目指し、グリーンランド西部の村ケケッタを出発した。1975年6月12日、カナダのケンブリッジベイに到着、アンダーソンベイで越夏した。同年12月15日、同地を出発、1976年5月8日、ゴールであるアラスカのコツビューに到着した。1年半の長い旅であった。植村、35歳。 その後、ベーリング海峡を渡り、シベリアの北極海沿岸からヨーロッパまで犬ぞりで走るという北極海一周を夢見るが、ソ連の許可を得るのが困難であるため断念した。 1976年7月31日、ロシアのエルブルス(標高5,642m)に登頂した。
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