南極大陸の探検
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/01/12 13:39 UTC 版)
詳細は「南極探検の英雄時代」を参照 1831年に北磁極の位置が確定すると、南磁極の位置に、科学界の関心が持たれることとなった。イギリス人のジェームズ・クラーク・ロスは、南磁極を求め、1839年から1843年にかけて南極を探検した。ロスの観測船は、南磁極に到達できなかったものの、南緯78度まで達し、ロス棚氷やエレバス山、テラー山などを発見した。 その後、探検は途絶えていたが、1897年にベルギー人のアドリアン・ド・ジェルラシによって多国籍の探検隊がアントウェルペンで結成された。彼らの探検船ベルジカ (BELGICA) は、1898年2月28日から1899年3月14日まで、約13ヶ月間、氷に閉じ込められ漂流した。病気により、探検隊に死者が出るなどしたが、探検隊自体の生還には成功している。南極圏における越冬により、多くの経験を得ることができた。この探検隊にはロアール・アムンセンも加わっていた。 この頃は、ドイツやスウェーデンも探検隊を派遣し、越冬を行っている。1901年から1904年にかけては、イギリス探検隊が南極に上陸している。ロバート・スコット率いるイギリス探検隊はマクマード湾に基地を設営し、内陸部の探査を行った。 スコットランド人のアーネスト・シャクルトン率いるイギリス探検隊が1907年から1909年にかけて、南極探検を行っている。この探検隊は、1909年1月9日南極点まで180km、南緯88度23分に達したほか、1909年1月16日には南磁極に達することに成功した。 初の南極点到達は1911年12月14日のことであり、ロアール・アムンセン率いるノルウェー探検隊によって達成された。アムンセンと極点到達の競争を行っていたロバート・スコットは、1912年1月18日に南極点に到達したが、極点から基地への帰路に遭難し、探検隊が全滅している。 1914年にアーネスト・シャクルトン率いる南極大陸横断を目的とするイギリス探検隊が結成された。しかし、探検隊の船・エンデュランスは南極到達前に氷に閉じ込められ、漂流することとなった。9ヵ月後に船が氷に破砕、沈没されたため、ボートにより脱出する。その後、サウス・ジョージア島に助けを求め、長期の遭難にも拘らず、全員生還することに成功する。
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