南極大陸横断を夢見て〈北極点到達・グリーンランド縦断犬ぞり単独行〉
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「植村直己」の記事における「南極大陸横断を夢見て〈北極点到達・グリーンランド縦断犬ぞり単独行〉」の解説
1977年3月21日、北極点犬ぞり単独行のための視察にカナダのレゾリュートを訪れ、20日間滞在した。また、同年9月にも7日間の旅行でレゾリュートを再訪した。 北極点・グリーンランド犬ぞり単独行のために必要な資金がスポンサー3社だけでは賄えず、広告代理店が加わり、全国的に「一口千円募金」の宣伝もされた。 1978年1月30日、世界初の犬ぞりによる単独での北極点到達に挑戦するため、日本を出発した。同年2月22日、カナダのエルズミア島のアラートに入った。3月5日、カナダ最北のコロンビア岬を出発し、約800kmの犬ぞり単独行の末、4月29日、北極点到達に成功した。なお、植村が北極点に到達する前日の4月28日、日本大学北極点遠征隊(隊長:池田錦重)の隊員5人が犬ぞりで日本人として初めて北極点に到達していた。植村と日本大学が、同時期に同じ犬ぞりで北極点到達を目指したことから、世間は、“どちらが先に北極点に着くか”と注目した。また、日本人として初めて『ナショナルジオグラフィック』の表紙を飾った。植村、37歳。 同年、犬ぞりによる単独でのグリーンランド縦断にも成功した。5月12日、「モーリス・ジェサップ岬」を出発、7月12日、内陸氷床の最高地点(標高3,240m)を経て、8月22日、グリーンランド南端のヌナタック(岩峰)に到着した。このグリーンランド縦断では、そりにヨットのような帆を張り、犬の負担を軽減するのに効果を上げた。 同年8月30日、アメリカ・ワシントンのスミソニアン博物館で“凱旋”記者会見が行われた。 帰国後、10月から翌年3月までの半年にわたって、北極点とグリーンランドの冒険に要した約2億円の支出のうち約7千万円の赤字を埋めるために、講演とイベント参加を全国的に数多く行った。 同年10月9日、第26回菊池寛賞の受賞が決定された。授賞理由は、「犬ぞりによる単独北極点到達とグリーンランド縦断…日本青年の声価を内外に高めた二大冒険」に対してである。 1979年2月22日、イギリスのビクトリア・スポーツ・クラブからスポーツの分野で最も勇気を発揮した人に贈られる「バラー・イン・スポーツ賞」を受賞した。授賞理由は、「北極の荒涼とした地での単独の行為などで見せた類(たぐい)まれな勇気」に対してであり、「常に第一歩を行うものであり、孤独の道の発見者であった」ためである。授賞式は、同日、イギリスのギルドホールで行われ、55,000ポンド(2,200万円)相当の黄金の月桂冠を頭に被せられた。植村、38歳。
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