サウスジョージア‐とう〔‐タウ〕【サウスジョージア島】
サウスジョージア島
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/08/02 08:31 UTC 版)
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![]() サウスジョージア中央部 | |
地理 | |
---|---|
場所 | 南大西洋 |
座標 | 南緯54度24分 西経36度42分 / 南緯54.4度 西経36.7度 |
諸島 | サウスジョージア島 |
面積 | 3,528 km2 (1,362 sq mi) |
長さ | 167.4 km (104.02 mi) |
幅 | 37 km (23 mi) |
最高標高 | 2,934 m (9,626 ft) |
最高峰 | パジェット山 |
行政 | |
最大都市 | グリトビケン |
人口統計 | |
人口 | 20 |
サウスジョージア島(英語: South Georgia Island)は南大西洋にある島で、イギリスの海外領土であるサウスジョージア・サウスサンドウィッチ諸島に含まれる。
概要
サウスジョージア島はコロネーション島の830 km北東、サウスサンドウィッチ諸島北端のザボドフスキー島から550 km北西にある。全長167.4kmで、幅は1.4から37kmである[1]。面積は3528km2で、亜南極の島としてはケルゲレン島に次いで広い。山がちな地形で、中央をアラーダイス山脈が走り、多くのフィヨルドや入り江が海岸沿いにある。
ゾウアザラシやオットセイ、オウサマペンギンの繁殖地でもある。主な集落としてはグリトビケンがある。
歴史
サウスジョージア島は1675年にロンドンの商人アントニー・ド・ラ・ロシェが初めて見つけたと言われている。古い地図の多くで「ロシェ島」という名前になっている。1756年6月28日か29日に、サン・マロから航行してきたスペインの商船レオンに目撃された[2]。
アルゼンチンによる占領
1982年3月19日にアルゼンチン人の一行がリース港に到着し、島にアルゼンチンの国旗を掲げた。4月3日、フォークランド紛争の2日目に、アルゼンチン海軍が正式にこの島を併合した。サウスジョージア島はパラケット作戦により、4月25日にイギリス軍が再奪還した。
気候
この島の気候はケッペンの気候区分で極地ツンドラ気候に分類される。表土を覆う木はなく、4月から11月までの冬季はおおむね雪に覆われている。
脚注
- ^ “Google Maps”. Google Maps. 2017年7月18日閲覧。
- ^ “Historia General de las Relaciones Exteriores de la República Argentina: Georgias del Sur” [General History of Foreign Relations of the Argentine Republic: South Georgia Islands] (Spanish). www.argentina-rree.com. Instituto Iberoamérica y el Mundo. 2017年7月18日閲覧。
サウスジョージア島
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/08/03 02:21 UTC 版)
「ハリー・マクニッシュ」の記事における「サウスジョージア島」の解説
ジェイムズ・ケアード号の隊員は、エレファント島を出てから15日後の1916年5月10日にサウスジョージア島に到着した。彼らはキングホーコン湾のケイブ・コーブに上陸した、そこは島の目的地の反対側だったが、全員が上陸できるのが安息だった。マクニッシュはその日記に次のように記した。 私は丘の頂点まで行って、草の上に寝た。故郷で丘の上に立ち、海を見下ろしていた昔を思い出させた。 彼らは食用になるアホウドリの雛とアザラシを見つけたが、小さなボートよりも比較的慰みが与えられる島にいたとしても、島の反対側のハスビクにある捕鯨基地に行って、エレファント島に残っている隊員の救援を求めることを緊急に必要としていた。マクニッシュとビンセントはそれ以上先に進めないことが明らかであり、シャクルトンはひっくり返したジェイムズ・ケアード号の下で、ティモシー・マッカーシーに二人の世話を任せ、ワースリーとクリーンと共に山越えの危険な旅に出発した。マクニッシュはジェイムズ・ケアード号のネジを外し、それを山越え隊員の長靴に付けて、氷を掴んで歩きやすくできるようにした。また浜で見つけた流木からありあわせの橇を作ったが、実用にするにはあまりに動きが悪かった。シャクルトン達3人は1916年5月18日に出発し、マクニッシュも数百ヤードはついて行ったが、それ以上は行けなかった。マクニッシュは3人のそれぞれと握手して幸運を祈り、そのごシャクルトンがマクニッシュを送り帰した。シャクルトンは残る3人の指揮者にマクニッシュを指名し、救援を待つこと、冬の終わりまでに誰も来なければ、島の東海岸までボートで行きつく試みを行うことを言い残した。シャクルトンの隊は山を越えてハスビクに到着し、捕鯨船サムソンでワースリーを送って3人を救出させた。シャクルトンは痩せ衰えたマクニッシュが捕鯨基地に到着するのを見た後で、マクニッシュにとっては救援がぎりぎりのタイミングだったことを感じたと記録していた。
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