サウス・ジョージア島とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > デジタル大辞泉 > サウス・ジョージア島の意味・解説 

サウスジョージア‐とう〔‐タウ〕【サウスジョージア島】

読み方:さうすじょーじあとう

South Georgia Island南大西洋南西部にある島。英国領サウスジョージアサウスサンドイッチ諸島属する。南極大陸沖合南緯5415分西経3645分位置する17世紀発見され1775年ジェームズ=クック調査した。名称は英国王ジョージ3世にちなむ。フォークランド紛争において、アルゼンチン一時占領された。主な町北岸グリトビケン


サウスジョージア島

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/08/02 08:31 UTC 版)

ナビゲーションに移動 検索に移動
サウスジョージア島
サウスジョージア中央部
地理
場所 南大西洋
座標 南緯54度24分 西経36度42分 / 南緯54.4度 西経36.7度 / -54.4; -36.7
諸島 サウスジョージア島
面積 3,528 km2 (1,362 sq mi)
長さ 167.4 km (104.02 mi)
37 km (23 mi)
最高標高 2,934 m (9,626 ft)
最高峰 パジェット山
行政
最大都市 グリトビケン
人口統計
人口 20
サウスジョージア島

サウスジョージア島(英語: South Georgia Island)は南大西洋にある島で、イギリス海外領土であるサウスジョージア・サウスサンドウィッチ諸島に含まれる。

概要

サウスジョージア島はコロネーション島の830 km北東、サウスサンドウィッチ諸島北端のザボドフスキー島から550 km北西にある。全長167.4kmで、幅は1.4から37kmである[1]。面積は3528km2で、亜南極の島としてはケルゲレン島に次いで広い。山がちな地形で、中央をアラーダイス山脈が走り、多くのフィヨルドや入り江が海岸沿いにある。

ゾウアザラシオットセイオウサマペンギンの繁殖地でもある。主な集落としてはグリトビケンがある。

グリトビケンの教会

歴史

サウスジョージア島は1675年にロンドンの商人アントニー・ド・ラ・ロシェが初めて見つけたと言われている。古い地図の多くで「ロシェ島」という名前になっている。1756年6月28日か29日に、サン・マロから航行してきたスペインの商船レオンに目撃された[2]

アルゼンチンによる占領

1982年3月19日にアルゼンチン人の一行がリース港に到着し、島にアルゼンチンの国旗を掲げた。4月3日、フォークランド紛争の2日目に、アルゼンチン海軍が正式にこの島を併合した。サウスジョージア島はパラケット作戦により、4月25日にイギリス軍が再奪還した。

気候

この島の気候はケッペンの気候区分で極地ツンドラ気候に分類される。表土を覆う木はなく、4月から11月までの冬季はおおむね雪に覆われている。

脚注

  1. ^ Google Maps”. Google Maps. 2017年7月18日閲覧。
  2. ^ Historia General de las Relaciones Exteriores de la República Argentina: Georgias del Sur” [General History of Foreign Relations of the Argentine Republic: South Georgia Islands] (Spanish). www.argentina-rree.com. Instituto Iberoamérica y el Mundo. 2017年7月18日閲覧。

サウスジョージア島

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/08/03 02:21 UTC 版)

ハリー・マクニッシュ」の記事における「サウスジョージア島」の解説

ジェイムズ・ケアード号の隊員は、エレファント島出てから15日後の1916年5月10日にサウスジョージア島に到着した。彼らはキングホーコン湾のケイブ・コーブに上陸した、そこは島の目的地反対側だったが、全員上陸できるのが安息だった。マクニッシュその日記に次のように記した。 私は丘の頂点まで行って草の上寝た故郷で丘の上に立ち、海を見下ろしていた昔を思い出させた。 彼らは食用になるアホウドリの雛とアザラシ見つけたが、小さなボートよりも比較慰み与えられる島にいたとしても、島の反対側のハスビクにある捕鯨基地行ってエレファント島残っている隊員救援求めることを緊急に必要としていた。マクニッシュビンセントそれ以上先に進めないことが明らかであり、シャクルトンひっくり返したジェイムズ・ケアード号の下で、ティモシー・マッカーシーに二人世話任せ、ワースリーとクリーンと共に山越え危険な旅に出発したマクニッシュはジェイムズ・ケアード号のネジ外し、それを山越え隊員長靴に付けて、氷を掴んで歩きやすくできるようにした。また浜で見つけた流木からありあわせ作ったが、実用にするにはあまりに動き悪かったシャクルトン達3人は1916年5月18日出発しマクニッシュ数百ヤードはついて行ったが、それ以上行けなかった。マクニッシュは3人のそれぞれ握手して幸運祈り、そのごシャクルトンマクニッシュ送り帰したシャクルトンは残る3人の指揮者マクニッシュ指名し救援を待つこと、冬の終わりまでに誰もなければ、島の東海岸までボート行きつく試みを行うことを言い残したシャクルトンの隊は山を越えてハスビクに到着し捕鯨船サムソンでワースリーを送って3人を救出させた。シャクルトン痩せ衰えたマクニッシュ捕鯨基地到着するのを見た後でマクニッシュにとっては救援ぎりぎりタイミングだったことを感じた記録していた。

※この「サウスジョージア島」の解説は、「ハリー・マクニッシュ」の解説の一部です。
「サウスジョージア島」を含む「ハリー・マクニッシュ」の記事については、「ハリー・マクニッシュ」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「サウス・ジョージア島」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「サウス・ジョージア島」の関連用語

サウス・ジョージア島のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



サウス・ジョージア島のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
デジタル大辞泉デジタル大辞泉
(C)Shogakukan Inc.
株式会社 小学館
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのサウスジョージア島 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaのハリー・マクニッシュ (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS