初代元山海軍航空隊・第七五五海軍航空隊
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「元山海軍航空隊」の記事における「初代元山海軍航空隊・第七五五海軍航空隊」の解説
戦爆連合隊だった十五空の装備と人員をそのまま継承して編成されたため、引き続き戦爆連合隊となった。十五空要員を基幹として美幌空と元山空を立ち上げることによって、1個航空隊の増強を図ったものであり、美幌空と元山空は引き続き第二連合航空隊および第二十二航空戦隊で常時コンビを組み続けた。旧十五空要員のうち、純粋な陸攻隊である美幌空に移ったのは陸攻要員に限られるため、戦闘機要員は大多数が元山空に残留した。 昭和15年(1940年) 10月1日 元山航空隊が第十五航空隊を基幹戦力として開隊(陸攻48・艦戦48)。支那方面艦隊第二連合航空隊に所属。 昭和16年(1941年) 1月15日 第十一航空艦隊を新編、二連空は第二十二航空戦隊に改編。 4月上旬 内南洋に進出、パラオ諸島・サイパン島・トラック環礁・クェゼリン環礁を巡回しつつ訓練に従事。 4月下旬 漢口に進出、29日の恩施を皮切りに爆撃開始。 5月3日 重慶爆撃。5月中に4回出撃。 8月31日 最後の重慶・成都爆撃を80機で敢行。 9月1日 館山飛行場に帰還。10月9日台中飛行場に進出。 11月24日 海南島経由サイゴン近郊ツダウム飛行場に進出。 12月10日 マレー沖海戦。美幌空・鹿屋空と協同でプリンス・オブ・ウェールズとレパルス撃沈。 昭和17年(1942年) 1月30日 ボルネオ島クチン飛行場に進出、蘭印作戦を支援。 3月7日 ツダウムに帰還。13日バンコクに進出しビルマ攻略作戦を支援。 4月20日 陸攻隊、ラバウルへの転戦開始。先遣隊9機ラバウル着。以後、戦闘機隊と別行動。 5月7日 珊瑚海海戦勃発。20機出撃、戦果なし。 5月11日 19機でポートモレスビーを爆撃。翌月まで計6回出撃。 6月30日 三沢飛行場に帰還。ガダルカナル島奪還に向けて内地航空隊がすべて出動したため、一部を木更津飛行場に移して哨戒に従事。 9月20日 戦闘機隊を分離、第二五二海軍航空隊を新編。 11月1日 「第七五五海軍航空隊」に改称。 12月頃 クェゼリン環礁ルオット飛行場に進出。一部ヤルート環礁タロア飛行場・ナウル島に駐留。 以後、マーシャル諸島・ギルバート諸島の哨戒に従事。 昭和18年(1943年) 2月18日 解散した第七〇一海軍航空隊より機体委譲。 3月25日 ナウル空襲。駐留機12機の半数を喪失。タロアから3機補充。 4月21日 ナウル空襲。6機喪失。 8月27日 九六陸攻より一式陸攻への換装開始、5機調達。 11月20日 ギルバート諸島へ敵機動部隊接近、全機で迎撃(ギルバート諸島沖航空戦)、2日間の戦闘で40機中29機を喪失、戦果なし。 11月25日 タラワ島陥落。七五五空タラワ基地要員も玉砕。 12月頃 テニアン島に撤退、再建に着手(テニアン10機・トラック6機)。 昭和19年(1944年) 1月1日 二二航戦は第四艦隊に転籍。 1月30日 クェゼリン環礁上陸に呼応してトラックに12機進出。 2月2日 第八〇二海軍航空隊・第七五三海軍航空隊と共同でマーシャル諸島残留基地要員の救出活動に従事。 2月17日 トラック島大空襲。駐留機全損。 2月23日 テニアン島大空襲。七五五空残存機は5機に激減。 3月4日 第七五一海軍航空隊と連合して2個飛行隊を編制(実施部隊:攻撃七〇一飛行隊・練成部隊:攻撃第七〇四飛行隊)。攻撃第七〇一飛行隊・攻撃第七〇六飛行隊(旧第七〇五海軍航空隊陸攻隊)を指揮。七〇四飛行隊は七五一空指揮下に委譲。二十二航戦は新編された第十四航空艦隊に転籍。 3月30-31日 パラオ大空襲に際し、グアム島から敵機動部隊への反撃を行うが、7機未帰還で戦果無し。 5月5日 十四航艦の機体全機を第一航空艦隊に委譲。二十二航戦は解散のうえ各隊が一航艦直轄に改編。 6月中旬 相次ぐ空襲により機体損失甚大。 7月10日 解隊。
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