八幡公園時代(1997-)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/02 23:38 UTC 版)
「近江八幡市立図書館」の記事における「八幡公園時代(1997-)」の解説
1991年(平成3年)には新館移転に向けた検討が始まった。1995年(平成7年)12月に新館の建設に着工し、1997年(平成9年)3月に竣工した。建設時には戦国時代の遺構が発掘されたため、近江八幡市教育委員会は豊臣秀次の居館や家臣の屋敷などの本格的調査を実施し、石垣や屋敷地が安土城に匹敵する規模であることが確認されている。新館は1997年7月から仮開館し、10月25日に正式に開館した。新館に移転した1997年の人口は67,196人だったが、移転時には人口が同等の自治体と比べて、延床面積でも施設面でも充実した図書館だった。 1999年(平成11年)には利用者用の蔵書検索端末を設置した。1999年から2008年(平成20年)には子ども向けの夏休み企画として怪談の読み聞かせ会を行っており、2016年(平成28年)には8年ぶりにこの読み聞かせ会を復活させた。2004年(平成16年)4月には「伴庄右衛門家」が近江八幡市立資料館の一館として再開館した。 合併で新近江八幡市が誕生した2009度末の人口は81,792人だった。2010年(平成22年)3月21日には旧近江八幡市と安土町が合併して新近江八幡市が誕生し、近江八幡市立図書館は近江八幡市立近江八幡図書館に改称している。2014年4月に行われた近江八幡市長選挙で、再選した冨士谷英正は公開討論会で「新市庁舎に子ども専用の図書館や高齢者向けのギャラリーを設け、世代に応じた居場所をつくりたい」と語っている。 2015年(平成27年)には長澤悟東洋大学名誉教授を会長とする「近江八幡市における図書館のあり方懇話会」が発足した。半年間に5回の会合を行ったうえで、検討結果を中間報告として2016年(平成28年)1月11日に近江八幡市長と教育委員会に報告。同日に開催された図書館のあり方に関する市民フォーラムには200人を超える参加者があった。さらに2回の会合を行ったうえで、同年4月には新館設置の可能性も含めた最終報告書を市長に提出した。
※この「八幡公園時代(1997-)」の解説は、「近江八幡市立図書館」の解説の一部です。
「八幡公園時代(1997-)」を含む「近江八幡市立図書館」の記事については、「近江八幡市立図書館」の概要を参照ください。
八幡公園時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/02 23:38 UTC 版)
フロア延床面積主な用途1階 2,648.97m2 一般開架、ブラウジング、レファレンス、展示室 2階 1,024.72m2 視聴覚室、会議室、展示室 八幡公園時代の建物の設計は佐藤総合計画・双建設計共同企業体(JV)、施工は大成建設・秋村組共同企業体(JV)。鉄筋コンクリート構造、一部木構造2階建である。敷地面積は7,134.67m2、建築面積は2,831.17m2、延床面積は673.69m2である。開館時点の延床面積は滋賀県立図書館に次いで滋賀県第2位だった。 図書館の屋外空間は八幡公園と一体的に整備されており、敷地内には武家屋敷の遺構も取り込んでいる。緩い勾配の大屋根には地元産の八幡瓦を用い、八幡山城のある鶴翼山への上昇感が強調されている。内部は開架のある東側と管理運営を行う西側に明確に分けられている。内部の天井は屋根の形状を素直に表現しており、梁と頬杖には大断面の集積材を用いている。段差のないワンフロア型の図書館であり、母子連れのために授乳室を備えている。
※この「八幡公園時代」の解説は、「近江八幡市立図書館」の解説の一部です。
「八幡公園時代」を含む「近江八幡市立図書館」の記事については、「近江八幡市立図書館」の概要を参照ください。
- 八幡公園時代のページへのリンク