近江八幡図書館
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近江八幡図書館には「あきんどの里資料室」という地域資料(郷土資料)コーナーが設けられており、近江八幡市および滋賀県の地域資料を収集している。近江八幡市は古い歴史の上に築かれており、図書館は歴史的な資料を数多く所蔵している。近江八幡は観光地でもあり、図書館は観光施設としての役割も有している点が特徴である。近江商人、ウィリアム・メレル・ヴォーリズ、伴蒿蹊(五代目伴庄右衛門)、豊臣秀次など、近江八幡で活躍した人物に関する資料は網羅的に収集している。 八幡文庫時代や近江兄弟社図書館時代の収集物には、近江八幡図書館しか所蔵していない資料も多い。美術評論家の柳宗悦らが1931年から1951年まで刊行した雑誌『工芸』は、滋賀県内で近江八幡図書館しか蔵書していない。前身の近江兄弟社図書館が児童教育に力を入れていたため、児童書は滋賀県内有数のコレクションであるとされる。『さるかに合戦』や『花咲か爺』や『大草原の小さな家』の初版本など、資料的価値の高い児童書も所蔵している。 死刑囚の二宮邦彦は福岡拘置所内で点訳奉仕を行い、1973年(昭和48年)の死刑執行までの11年間に約1,500冊の点訳書を製作した。近江八幡市立図書館は二宮の点訳書のうち776冊を保管しており、岡山県視覚障碍者センターが約100冊を、静岡県・富山県・滋賀県・兵庫県・熊本県などの盲学校または視覚障害者施設が残りを保管している。近江八幡市立図書館が所蔵している二宮の点訳書には、『太閤記・異本太閤記』、『恩讐の彼方に』(菊池寛)、『若い人』(石坂洋次郎)、『戦争と人間』(五味川純平)、『冬の旅』(立原正秋)、『マッチ売りの少女』などがある。二宮は拘置中に近江兄弟社の牧師や近江サナトリアムの看護師と知り合い、彼らが自費で送った点字器がきっかけで、罪滅ぼしや盲人伝道の支援のために点訳を行うようになったのだった。
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近江八幡図書館(1975-1983)
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戦後の滋賀県では、彦根市立図書館、水口町立図書館、滋賀県立図書館の公立3館に、私立の近江兄弟社図書館と財団立の江北図書館の2館を加えた5館しか存在しない状況が長く続いた。1974年(昭和49年)には近江兄弟社が倒産したため、1975年(昭和50年)には近江兄弟社図書館が閉館し、図書や備品は近江八幡市に寄贈された。近江八幡市は図書館業務を財団法人八幡教育会に委託、八幡教育会は近江兄弟社図書館の建物や図書をそのまま使用して、1975年には教育会立の近江八幡図書館が開館した。 近江八幡図書館の館員のうち、館長を含む2人は近江八幡市職員であり、市からの運営補助金も増額された。しかし近江八幡図書館はあくまでも私立図書館であり、その収入の一部は会員から集めた会費で賄われた。1980年頃には閲覧室や書庫が手狭となり、滋賀県立図書館の館長を務めた平田守衛は、「由緒ある伴蒿蹊宅も今や古色蒼然、書庫は図書であふれ、閲覧室も狭く、(滋賀県で)最もみずぼらしい図書館」と評している。
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