近江令説
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/04/05 07:02 UTC 版)
『藤氏家伝』や『弘仁格式』には、日本最初の令として天智天皇が近江令を制定したことが記されている。不改常典を天智元年制定の近江令とするのは、大正から昭和初期の通説であった。史料的根拠としては、後に高橋崇があげた元明天皇の即位詔の「不改常典と立て賜わる食国法」という箇所がある。食国法は国家統治の法律と解されるので、これは当時の国家統治の法、すなわち最初の令として制定された近江令のこととされる。 近江令説に対する批判としては、大宝令が施行された後の段階で近江令を「不改常典」と呼ぶ矛盾が指摘される。つまり、既に改正された法を改正されない法と呼ぶ矛盾である。 また、20世紀後半に有力化した近江令不存在説にもとづけば、不改常典を近江令とする説は否定される。近江令制定が平安時代に創作された話なら、奈良時代に言及されるはずがないからである。 なお、近江令の中に皇位継承規定があったとは考えられない。大宝令、養老令に皇位継承に関する規定はなく、唐の令にも規定がない。近江令に置かれていたとすれば、日本独特のものとして置かれた規定が、大宝令制定時に除かれたということになり、令から削除されて間もない法を「改めるまじき法」と呼ぶ矛盾が生じる。
※この「近江令説」の解説は、「不改常典」の解説の一部です。
「近江令説」を含む「不改常典」の記事については、「不改常典」の概要を参照ください。
- 近江令説のページへのリンク