全日本GT選手権・SUPER GTでの活躍とは? わかりやすく解説

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全日本GT選手権・SUPER GTでの活躍

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/07 03:12 UTC 版)

RACING PROJECT BANDOH」の記事における「全日本GT選手権・SUPER GTでの活躍」の解説

全日本GT選手権(現:SUPER GT)には1997年より、日産・シルビアでGT300クラス参戦開始開幕戦鈴鹿)で優勝遂げた後、5戦連続表彰台獲得最終戦SUGOでも優勝)し、1点差でシリーズチャンピオン織戸学福山英朗組)になる。 1998年は、3戦欠場の後 第4戦から全日本ツーリングカー選手権JTCC)で使用していたトヨタ・EXiVの主要コンポーネント移植して作られトヨタ・セリカ参戦。2.0L NAエンジンリストリクター装着免除されいたもの動力性能はさほど高く無かったが、JTCC EXiV譲り運動性能武器に第5戦以降3戦連続表彰台獲得しシリーズ2となった同様の体制参戦した1999年は、開幕戦鈴鹿)で優勝を飾る3点差で惜しくもシリーズ3位。2000年は、第3戦(菅生)で優勝するシリーズ5位。 2001年は、開幕戦欠場した後 前年よりチーム使用していたトヨタ・MR-S車種変更したが、極端に短いホイルベース車体と2.0L ターボエンジンとがどちらもピーキー特性持ち出入りの多いシーズンをおくることとなり、第5戦(もてぎ)で優勝するシリーズ9位と低迷した。翌2002年一度表彰台を得ることが出来ずシリーズ10位に終わった2003年は、第2戦を欠場した後再びトヨタ・セリカ使用することとなった開幕戦前年MR-S)。この車両は、前年までGT500クラス参戦していたトヨタ・スープラの主要コンポーネント移植して作られたため、市販車とは異なり後輪駆動である。第5戦(富士)と最終戦鈴鹿)とで優勝しシリーズ4位へと順位上げた。しかし、登場後改良進まず2004年は第2戦(菅生)で優勝するシリーズ5位、2005年シリーズ7位、2006年シリーズ10位と、年々下位に沈むこととなった。さらに、元々使用されている主要部品(競技エンジンシリンダーブロックヘッドギアボックス 等)は新たに制作されたものでは無く、他チーム順次参加止めること(参加当初は3台、最終的には1台)でパーツ確保をしてきたが、ウォーターインジェクション廃止によるパワーダウン車両老朽化戦闘力低下否めず、2007年第3戦(富士)ではエキゾーストマニホールド破損から火災発生し、何とか事なきを得たが、対応が遅ければ全焼していたかもしれないそのような状況下でありながら、第5戦(菅生)では優勝飾っている。この背景には、特認条件変更でフロントリップスポイラーの延長リアウイングルーフトップの高さにすることが認められ車両のパフォーマンスアップができたことにある。 2008年は、第2戦まではセリカ参戦し第3戦よりフォーミュラ・ニッポンエンジン(RV8J)をミッドシップ搭載したレクサス・IS350車両変更したメンテナンスクエストで、同車両を使用する他のチームより車両完成早かったようで、公式予選第1回2位獲得したその後第4戦でも予選2位獲得したが、決勝ではオープニングラップに他車に追突され走行不能となりリタイア。第5戦ではポール獲得したものの、決勝ではスターター不調ピットアウト時間費やし優勝ならず。速さ証明できたものの肝心結果残せずにいた。第7戦では、練習走行でトップタイムを出したものの、車検車両規定違反が見つかり予選タイム無効となり最後尾スタートになり優勝不可能かに見えたが、決勝では怒涛追い上げ見せ最終的にトップにまで浮上しそのまま優勝。GT300クラスにおいて最後尾からの優勝史上初となる。 2009年は、片岡龍也チーム加入したライバルチームチャンピオン争い繰り広げ、M7 MUTIARA MOTORS雨宮RX-7(谷口信輝/折目遼)やARTAガライヤ(新田守男/高木真一)、ジムゲイナーフェラーリF430(田中哲也/平中克幸)、アップルK-One紫電(加藤寛規/吉本大樹)、エスロードMOLA Z(星野一樹/柳田真孝)、ダイシンアドバンFerrariF430(青木孝行/藤井誠暢)との激戦制し最終戦念願シリーズチャンピオン輝いた2011年GT500移動しレクサスSC430参戦することが発表された。 2014年GT500では、脇阪寿一関口雄飛ドライバー迎えて参戦することが発表された。シーズンでは、車体デリバリー遅かったこと等により序盤から苦戦続いた。しかし、終盤以降には本選でも上位で争うなど復調を果たす。本シーズンでは、滑り易い路面定評があり、第7戦のタイの上進出最終戦のもてぎでのタイヤ交換などで性能発揮した2015年2011年から2014年いっぱいGT500クラスのみ参戦をしていたが、新規車両マザーシャーシ使用して2015年からGT300クラス復帰をして両クラス参戦をしている。2015年GT500クラス参戦をしているレクサス勢で唯一レースポイント獲得をした。 2016年、第7戦タイラウンドにてSUPER GT500クラス移籍して初めての優勝ポールトゥーウィンで飾る。 2014年第7戦〜2017年第3戦にかけての21連続入賞JGTC時代含めて歴代1位。 WedsSport ADVAN LC500(2019年) WedsSport ADVAN RC F2014年) WedsSport ADVAN SC4302011年) WedsSport IS350

※この「全日本GT選手権・SUPER GTでの活躍」の解説は、「RACING PROJECT BANDOH」の解説の一部です。
「全日本GT選手権・SUPER GTでの活躍」を含む「RACING PROJECT BANDOH」の記事については、「RACING PROJECT BANDOH」の概要を参照ください。

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