全日本GT選手権・SUPER GTでの実績
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2011/09/14 05:59 UTC 版)
「TEAM TAKEUCHI」の記事における「全日本GT選手権・SUPER GTでの実績」の解説
2004年は西澤誠剛と共に参戦し、予選では竹内がなかなかの速さを見せた(第6戦(もてぎ)では予選3位)ものの、決勝では良い結果が残らず、ポイントランキング13位という結果で終わった。 2005年は新たな体制となり、「トヨタ若手育成プロジェクト」の開始により若手の平中克幸を起用したが、即戦力タイプではなく、さらにタイヤもダンロップからジョイントしたクムホとなり、ポイントランキング15位という結果で終わった。 2006年は、平中がGT500クラスにステップアップしたため、新たに嵯峨宏紀を起用。若手育成とともにクムホタイヤの開発も継続した。第6戦(鈴鹿)でチームとして初めてとなるポールポジションを獲得。決勝も、1,000kmという長い距離でありながら一度も順位が下がることなく、そのままチーム初優勝を飾った。この勝利の要因は、マシンが救済措置で優遇されていたこと、タイヤ開発がうまく進んでいたこと、そして何よりもメカニックやドライバーがノーミスであったことが挙げられる。また、第6戦は1,000kmという長い距離を走るため、第3ドライバーとして2003年にセリカをドライブし活躍した澤圭太を起用した。 2007年は、トヨタがエンジン(3S-GTE)をTEAM TAKEUCHIへ供給しないことを決めたため、参戦を断念した。 2008年は、車両をレクサス・IS350に変更し復帰する。ドライバーは、竹内がGT500クラスに参戦するTOYOTA TEAM CERUMOの監督に就任するため、黒澤琢弥と井口卓人を起用する。 2009年は、竹内自身がセルモの監督・代表を務めており、TDPはaprに託された。またシフトはチーム・レクリスをサポートする。以上のことからチーム・タケウチは事実上のチーム解散である可能性が高い。 尚、チーム・タケウチで使用していたIS350は2011年にTeam SG CHANGIの手で再び用いられ、好成績を収めることとなる。
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